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東京都区部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/19 09:24 UTC 版)
(東京23区 から転送)
| 東京都区部のデータ[1] | |
|---|---|
| 国 | |
| 地方 | 関東地方 |
| 都道府県 | 東京都 |
| 団体コード | 13100-8[2] |
| 面積 | 621.98km² (2010年1月1日現在) |
| 総人口 | 8,968,912人 (2011年12月1日現在) |
| 人口密度 | 14,424人/km² (2011年12月1日現在) |
| 位置 | ■:特別区 |
東京都区部(とうきょうとくぶ)とは、東京都で23の特別区から構成される地域である。1943年(昭和18年)6月までの東京市に相当する地域で、東京23区または東京特別区とも呼ばれる。
各区の事務のうち、清掃・職員採用・競馬事業は、23区で一部事務組合(特別地方公共団体)を設置し共同処理している。
目次 |
概要
大東亜戦争下で首都の行政機能を強化する目的から東京府と東京市を統合して東京都が成立したのは1943年(昭和18年)のことであるが[3]、特別区によって構成される東京都区部はこのうちの旧東京市(当時は35区)が移行したものである。東京特別区は市町村よりも権限が小さく、通常市町村が手掛ける水道業務や消防などは東京都が行っている[3]。また、財政を初めとして独立性は低いものの議員や職員数は多く、現在23区の職員数は合計で6万2,000人、区議会議員数は約900人に上り、それらの人件費は年間6,000億円超となっていることも問題視されている。23区についてはこれらの非合理や効率の悪さから、再編を求める意見もある[3]。
東京都区部の人口は、1920年(大正9年)に台東区が上野桜木、池之端をはじめ都心の高級住宅街として人口第1位の439,596人。世田谷区は39,952人。高度経済成長期の1965年(昭和40年)に約889万人(国勢調査人口)で一旦最大となった後、郊外化で減少に転じ、特にバブル景気に伴う地価の高騰によって1990年代には800万人を割り込んだ(参照)。その後は都心回帰現象などにより、現在では過去最大の約897万人(2011年11月1日現在の推計人口)にまで再び増加し、東京都の人口の約68%を占めるまでに至った。東京都区部を一つの自治体と見なした場合の人口は日本で最も多く、2位の横浜市と比較しても約2.5倍もの人口規模である。なお、昼間人口では、1980年代末のバブル景気期に約1129万人で最大となり、失われた10年の間は減少していたが、その後は増加してバブル期並みとなっている(参照)。周囲が巨大なベッドタウンとなっていることもあり、昼間人口に比べ夜間人口の方がずっと少ない。
都心の区は、主に中心業務地区に利用されているため、居住地が少なく人口も少ない。また、地価が高いだけでなく、面積が狭いことも人口の少ない要因のひとつである。周辺の区ほど人口が多いが、面積最大の大田区より面積第2位の世田谷区の方が人口は多く(大田区は羽田空港の沖合展開による埋め立ての結果、世田谷区を抜き最大の区となった)、面積第4位の練馬区は人口第2位である。東京湾沿岸の区は、東京港港湾施設や広大な工場・流通地区を持つため、内陸の周辺区よりも人口密度が低いが、江東区などは超高層住宅の建設が進められており、一部そうでもない場所もある。
法令上の定義
多極分散型国土形成促進法(昭和63年法律第83号[4])第4条では「東京都の特別区の存する区域」を以て「東京都区部」と定めている。
歴史
江戸時代、江戸の市域は、「朱引」と呼ばれ、その範囲は「朱引き線」によって明示されていた。
明治2年2月19日(1869年)、江戸に代わった東京府は、新たな朱引を定めた。これは皇居を中心とし、朱引の内側を「市街地」、外側を「郷村地」と定めるものであった[5]。同年3月16日には、朱引内に50区の区画が制定され(五十番組制、五十区制)、さらに明治4年6月(1871年)にはその範囲が縮小されて44区に再編成された(朱引内四十四区制)[5]。
1878年(明治11年)、郡区町村編制法が制定され、宮城(皇居)周辺の都心部に、麹町区、神田区、日本橋区など15区が定められた。1889年(明治22年)には、この15区に市制が施行され、東京市となる。明治時代には、およそ明治通りの内側が東京市とされ、外側は南豊島郡渋谷村などの町村であった[6]。このときの東京市は、現在の千代田区、中央区、港区、文京区、台東区の全域、および新宿区・墨田区・江東区の各一部を範囲としていた。
1932年(昭和7年)、周辺82町村が編入され、面積・人口が一気に拡大した。このとき、既存の15区に加えて、新たに20区が定められ、35区となった。現在の東京都区部の区域は、このときの35区とほぼ重なる。1943年(昭和18年)には東京都制が施行されて東京府および東京市は廃止され、35区は東京都の行政区となった。
1947年(昭和22年)に地方自治法が公布されて35区は再編され、23の特別区となった。制度創設から長らく、特別区は東京都の内部的団体と位置付けられ、日本国憲法93条2項の「地方公共団体」にあたらないと解されてきた[7]。しかし、2000年(平成12年)の地方分権改革により、特別区は「基礎的な地方公共団体」と規定され、名実ともに独立した地方公共団体となった。
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- ^ 東京都の統計
- ^ JIS X0402より
- ^ a b c 県と歪み増す政令市 大都市行政現状を探る 『日本経済新聞』 平成23年11月22日 東京・首都圏経済面
- ^ 多極分散型国土形成促進法(総務省・法令データベス)
- ^ a b 明治四年朱引内四十四区制について 中元幸二 『東京都公文書館 研究紀要』(第4号)、p14-40、平成14年3月
- ^ 麻布区広尾のみ明治通りの内側でありながら、後に渋谷村となった。
- ^ 最高裁大法廷判決昭和38年3月27日刑集17巻2号121頁参照。
- ^ 全国地方公共団体コードの末尾。
- ^ 2011年12月1日現在の推計人口。
- ^ 一部に境界未定部分がある。
- ^ 東京都産業労働局総務部企画計理課編 「第2部第3章」『[ウェブ上で読める資料の場合、リンク先 東京の産業と雇用就業2008]』 東京都産業労働局総務部企画計理課、2008年、p.72。
- ^ 東京都統計年鑑 平成18年 2 人口 2-3 地域別人口(東京都)
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 美食東京、星200店に増 10年版ミシュランガイド
- ^ ミシュランガイドに取り上げられている主な都市の星数
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