大村益次郎
(村田蔵六 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 09:49 UTC 版)
大村 益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日〈1825年6月18日〉[1][注釈 1] - 明治2年11月5日〈1869年12月7日〉[2])は、幕末期の日本の政治家、軍人、医師、学者。維新の十傑の一人。旧姓は村田(むらた)、幼名は宗太郎、通称は蔵六(ぞうろく)、良庵(または亮庵)、のちに益次郎(ますじろう)。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏(ながとし)。位階は贈従二位。家紋は丸に桔梗。
注釈
出典
- ^ 大村益次郎|近代日本人の肖像
- ^ a b 『大村益次郎』 - コトバンク
- ^ 木村紀八郎「大村益次郎伝」165-169頁。
- ^ 「故兵部大輔大村永敏ヲ弔シ贈位賜幣ヲ宣ス Archived 2016年3月4日, at the Wayback Machine.」、『太政類典』第1編(慶応3年~明治4年)、第1巻、18。
- ^ 大村益次郎 夫人は高実琴
- ^ 『大村益次郎小伝』
- ^ 『大隈伯昔日譚』
- ^ a b 『大村兵部大輔』 足助直次郎 著 明35.7
- ^ 『伊藤侯 井上伯 山県侯元勲談』
- ^ 『史談会速記録99』明治32年2月
- ^ a b c d e 『兵部大輔大村益次郎先生』
- ^ 『大村先生逸事談話』P5
- ^ 『偉人豪傑言行録 修養教訓』
- ^ 『大村先生逸事談話』P69
- ^ *番組エピソード 大河ドラマ『花神』 NHKアーカイブス
村田蔵六(大村益次郎)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 02:35 UTC 版)
「花神 (小説)」の記事における「村田蔵六(大村益次郎)」の解説
本作の主人公。周防国鋳銭司村の百姓医に生まれ、蘭学を学ぶために大坂の緒方洪庵の適塾に入り、抜群の成績を修めて塾頭に取り立てられる。家業を継ぐために一旦郷里に戻るものの、優れた蘭学者を探していた宇和島藩に招かれて蘭学の教授を行い、その後江戸に出て蘭学塾「鳩居堂」を開塾し、幕府の要請によって蕃書調所・講武所の教授となるが、愛郷心から故郷の長州藩に仕え、兵制の改革・士官学校の開設・西洋式砲台の建設など藩軍の近代化を押し進めた。第二次長州征伐に臨んで長州の軍務を総攬する地位に就き、決して精強とはいえない長州兵を巧みな采配で進退させ、対幕戦で奇跡の戦勝をもたらした。続く戊辰戦争では官軍の総司令官を任され、精妙無比な戦闘指揮によって旧幕軍の抵抗を見事に鎮圧した。
※この「村田蔵六(大村益次郎)」の解説は、「花神 (小説)」の解説の一部です。
「村田蔵六(大村益次郎)」を含む「花神 (小説)」の記事については、「花神 (小説)」の概要を参照ください。
村田蔵六(大村益次郎)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:32 UTC 版)
「お〜い!竜馬」の記事における「村田蔵六(大村益次郎)」の解説
医者にして兵学者。戦の指揮を執り、高杉の肺結核の治療も行っていた。肖像画を再現してか頭が異様に大きく、それが原因で散々な目に遭ってしまう。
※この「村田蔵六(大村益次郎)」の解説は、「お〜い!竜馬」の解説の一部です。
「村田蔵六(大村益次郎)」を含む「お〜い!竜馬」の記事については、「お〜い!竜馬」の概要を参照ください。
- 村田蔵六のページへのリンク