本木庄左衛門とは? わかりやすく解説

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もとき‐しょうざえもん〔‐シヤウザヱモン〕【本木庄左衛門】

読み方:もときしょうざえもん

[1767〜1822]江戸後期オランダ通詞長崎の人。良永の長子。名は正栄。号は汀。フランス語・英語も修得し日本最初英和辞書「諳厄利亜(アンゲリア)語林大成」、最初フランス語学書「払郎察(フランス)辞範」などを編纂した


本木正栄

(本木庄左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/01 00:01 UTC 版)

本木 正栄(もとき まさひで、1767年4月26日明和4年3月28日) - 1822年5月4日文政5年3月13日))は、江戸時代後期のオランダ通詞である[1][2]。通称は庄左衛門[2][3]、号は蘭汀[1][2]オランダ語フランス語英語ロシア語に通じ、日本初の英語辞書『諳厄利亜(アンゲリア)興学小筌』、日本初の英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』、日本初のフランス語辞書『払郎察(フランス)辞範』を編纂した[4]

経歴・人物

蘭学者であった本木良永の長男として長崎に生まれる[1][2]1808年文化5年)に江戸幕府からの命令により[2]、正栄ら多くのオランダ通詞と共に当時長崎オランダ商館長を務めていたヘンドリック・ドゥーフからドゥーフ自身ががオランダ人であるのにもかかわらずフランス語を学んだ[1][2]。その後は学んだ成果としてフランス語で執筆された著書を日本語に翻訳し[2]、翻訳した著書を写本に残した[2]

1809年(文化6年)にドゥーフの後継者として長崎オランダ商館長を務めたヤン・コック・ブロンホフから多くの通詞と共に英語も学ぶ[2][3]。その後も多くの著書の翻訳に携わり[2]、オランダ通詞のオランダ語を基礎外国語として[3]、フランス語および英語の研究を進め蘭学から洋学の発展に貢献した[2]

訳書

オランダ語・フランス語

  • 『払郎察(フランス)辞範』- 1808年、日本初のフランス語学書[3]。フランス語の単語や発音が詳細に記述されている[2]。原作は『ヌーベル・メトード(フランス語入門)』[2]
  • 『和仏蘭対訳語林』- 1808年、日本語の単語をフランス語およびフランス語に訳した辞典。

英語

脚注

  1. ^ a b c d 本木正栄”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年9月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 本木正栄”. 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版). 2023年9月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 本木正栄”. デジタル大辞泉(小学館). 2023年9月20日閲覧。
  4. ^ 長崎県印刷工業組合 本木昌造顕彰会 『本木家による日本で初めての功績』 2016年5月1日



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