末弘ヒロ子
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末弘 ヒロ子[1](すえひろ ヒロこ、1893年(明治26年)5月20日 - 1963年(昭和38年)3月18日)は、福岡県小倉市長・末弘直方の四女[2]。1908年(明治41年)3月、学習院女学部3年生(数え16歳)のとき、日本初の全国的ミス・コンテストとされる時事新報社主催全国美人写真審査(aka 良家の淑女写真コンクール)において第1位となる。
- ^ 時事新報社 編『日本美人帖』時事新報社、1908年、4頁。doi:10.11501/1087218。
- ^ a b 井上 1992, p. 8-12.
- ^ a b 井上 1992, p. 29.
- ^ a b ポーラ文化研究所 2002, p. 105.
- ^ 黒岩 2008, p. 52-53.
- ^ 黒岩 2008, p. 67.
- ^ a b ポーラ文化研究所 2002, p. 109.
- ^ excite.co.jp 2022.
- ^ 井上 1992, p. 57-58.
- ^ a b 黒岩 2008, p. 54.
- ^ 黒岩 2008, p. 55-57.
- ^ 黒岩 2008, p. 58.
- ^ 黒岩 2008, p. 57-58.
- ^ 山下洋輔『ドバラダ乱入帖』集英社、1997年、211頁。ISBN 978-4-08-748688-9。
- 1 末弘ヒロ子とは
- 2 末弘ヒロ子の概要
- 3 参考文献
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