木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 122 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1940.10.14(昭和15.10.14) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造男神坐像(伝塩椎神)
主名称: | 木造男神坐像(伝塩椎神) |
指定番号: | 3444 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1994.06.28(平成6.06.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 越前国の古社、大虫神社【おおむししんじや】に祀られる二躯の神像である。天津日高日子穂穂出見命像とされる像は、主神として本社社殿に鎮座する。檜材の一木造で、腰より上の像容を縦一材より彫出し、その下に九センチ高の横一材を矧足し、これに両足部横一材を矧ぐ類例の少ない構造になる。厚みのある頭体部や、両眉をつなげるいわゆる連眉の形式、耳輪の太い耳の形など、古式を襲っているが、その平板な肉付けや衣文の単調な彫り口は平安後期以降の製作を思わせる。あるいは古像を模しての造像の可能性もあろう。 伝塩椎神像は本殿東隣の摂社塩土社に安置される。巾子冠【こじかん】、袍【ほう】をつける服制は主神像と共通するが、主神像の結跏趺坐【けつかふざ】に対して正坐する姿に表されている。檜材製で、全容を一材より丸彫りする。貴人を思わせる面貌にやや厳しい表情を浮かべる像容が的確な彫技で表され、まことに洗練された作風を示している。耳の深く鋭角的な彫り口などは平安前期の仏像に近く、製作時期は主神像よりもかなり遡り、十世紀頃と推定される。肉身・着衣とも当初の彩色が残り、その保存のよさも賞される。 |
木造男神坐像(伝天津日高日子穂穂出見命)
主名称: | 木造男神坐像(伝天津日高日子穂穂出見命) |
指定番号: | 3444 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1994.06.28(平成6.06.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 越前国の古社、大虫神社【おおむししんじや】に祀られる二躯の神像である。天津日高日子穂穂出見命像とされる像は、主神として本社社殿に鎮座する。檜材の一木造で、腰より上の像容を縦一材より彫出し、その下に九センチ高の横一材を矧足し、これに両足部横一材を矧ぐ類例の少ない構造になる。厚みのある頭体部や、両眉をつなげるいわゆる連眉の形式、耳輪の太い耳の形など、古式を襲っているが、その平板な肉付けや衣文の単調な彫り口は平安後期以降の製作を思わせる。あるいは古像を模しての造像の可能性もあろう。 伝塩椎神像は本殿東隣の摂社塩土社に安置される。巾子冠【こじかん】、袍【ほう】をつける服制は主神像と共通するが、主神像の結跏趺坐【けつかふざ】に対して正坐する姿に表されている。檜材製で、全容を一材より丸彫りする。貴人を思わせる面貌にやや厳しい表情を浮かべる像容が的確な彫技で表され、まことに洗練された作風を示している。耳の深く鋭角的な彫り口などは平安前期の仏像に近く、製作時期は主神像よりもかなり遡り、十世紀頃と推定される。肉身・着衣とも当初の彩色が残り、その保存のよさも賞される。 |
木造男神坐像(伝大国主命)
主名称: | 木造男神坐像(伝大国主命) |
指定番号: | 3458 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1996.06.27(平成8.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | (本殿安置) |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | 附 鎌倉 |
検索年代: | |
解説文: | 出雲大神宮本殿(重要文化財)内陣の三間に神体として祀られる男神像三躯である。主神像は大国主命と伝称され、最も大きく等身の法量があり、両足部・手先を含んでカヤの一材より丸彫りし、素地彩色を施している。肩幅広く、上体を反らして胸を張り、膝を左右に大きく張って両足を組んで坐る姿は力強さと安定感に満ち、頭部に載く四面頭飾を立て廻した方形の冠が像に独特の威厳を加えている。大づかみな量感の表現など、九世紀末から十世紀初めころの作風を示している。 当社は山陰道の入口という交通の要衝に鎮座し、弘仁九年(八一八)名神に列せられると、承和十二年(八四五)従五位下を皮切りに延喜十年(九一〇)正四位上まで順次神階位を授けられており、この間に当地の有力神として朝廷に重視されるようになった事情がうかがえる。主神像はおそらくこうした動向と関連して造られたものであろう。 本指定のいま一躯は主神より一回り小さく、やはりカヤかとみられる材を用いるが、大略前後二材を矧ぎ寄せる構造になる。鼻が付け根から異様に高く隆起し、眉を吊り上げて威嚇するように眼をむく風貌にはすこぶる異色がある。総じて彫り口は荒々しく、表面はノミ痕を残して仕上げ、衣文線や石帯は墨描で表すのみにとどめている。比較すべき作例は求めがたいが、古式な〓頭の形や、造形に一種初発的な迫力が感じられる点などからみれば、主神像からさほど隔たらぬ時期の製作と考えられる。初期神像の異色作として注目されよう。 附の一体はクスノキとみられる一材から荒彫りに近い彫技により、主神像に倣ったような姿が丸彫りされる。粗放な造形で、製作年代の推定は難しいが、本殿が建立されたという貞和元年(一三四五)をその下限と見ることができよう。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 3458 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1996.06.27(平成8.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | (本殿安置) |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | 附 鎌倉 |
検索年代: | |
解説文: | 出雲大神宮本殿(重要文化財)内陣の三間に神体として祀られる男神像三躯である。主神像は大国主命と伝称され、最も大きく等身の法量があり、両足部・手先を含んでカヤの一材より丸彫りし、素地彩色を施している。肩幅広く、上体を反らして胸を張り、膝を左右に大きく張って両足を組んで坐る姿は力強さと安定感に満ち、頭部に載く四面頭飾を立て廻した方形の冠が像に独特の威厳を加えている。大づかみな量感の表現など、九世紀末から十世紀初めころの作風を示している。 当社は山陰道の入口という交通の要衝に鎮座し、弘仁九年(八一八)名神に列せられると、承和十二年(八四五)従五位下を皮切りに延喜十年(九一〇)正四位上まで順次神階位を授けられており、この間に当地の有力神として朝廷に重視されるようになった事情がうかがえる。主神像はおそらくこうした動向と関連して造られたものであろう。 本指定のいま一躯は主神より一回り小さく、やはりカヤかとみられる材を用いるが、大略前後二材を矧ぎ寄せる構造になる。鼻が付け根から異様に高く隆起し、眉を吊り上げて威嚇するように眼をむく風貌にはすこぶる異色がある。総じて彫り口は荒々しく、表面はノミ痕を残して仕上げ、衣文線や石帯は墨描で表すのみにとどめている。比較すべき作例は求めがたいが、古式な〓頭の形や、造形に一種初発的な迫力が感じられる点などからみれば、主神像からさほど隔たらぬ時期の製作と考えられる。初期神像の異色作として注目されよう。 附の一体はクスノキとみられる一材から荒彫りに近い彫技により、主神像に倣ったような姿が丸彫りされる。粗放な造形で、製作年代の推定は難しいが、本殿が建立されたという貞和元年(一三四五)をその下限と見ることができよう。 |
木造男神坐像(伝落別命)
主名称: | 木造男神坐像(伝落別命) |
指定番号: | 3465 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1997.06.30(平成9.06.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 当社本殿(重文)の宮殿【くうでん】内に最近まで並座して祀られていた二躯の男神像である。主神像である落別命(於知別命・息束別命)像は、平安時代以降、宮廷の実務官僚氏族として活躍し、官務家とも称された小槻【おつき】氏の先祖神と伝えられている。〓頭冠、袍衣を着し、拱手持笏して坐す姿をヒノキの一材から丸彫りする。両袖が両足部まで垂れずに袂がかなり小さく、きわめて古式な袍衣を着し、服制は古態をとどめ、幾分大きめな頭部と両肘と両足を左右に大きく張った躰部がつくる正面観は安定感があり、頭部および上躰の奥行も深く、その量感の表現も古様である。ただ、眉根と球状の瞳をもつ眼を顔の中央に寄せて神威を表した顔立ちは、十世紀ころの作とみられる京都・禅定寺の四天王像(重文)などに通じるところも認められ、両腕と両足の着衣の衣文表現も構えに合わせて巧みに刻まれているものの、彫り口はかなり柔軟になっている。その製作は十世紀ころとみられるが、『園太暦』などによれば、当社は、貞観五年(八六三)の従五位下を皮切りに延喜十一年(九一一)の従四位下まで神階位の授与が続いてなされていることが判明しており、神階位の授与を考慮すれば、従四位下が授与された延喜十一年のあたりが製作の上限になろう。 配祀神の伝大己貴命像は、主神像よりも一回り小さく造られ、カヤ材と思われる一材から全容を丸彫りしている。頭部および躰部の奥行も深く、安定感のある像であり面貌表現は連眉が表されるなど古式であるが、肩は撫で肩になり、躰貌が総じて丸みを帯び、服制も主神像に準じるものの、簡略化されている。その製作は、主神像に多少遅れ、十一世紀に入ってからの造像とみられるが、耳などに多少素朴な表現も認められる主神像に比べると、造形は全体に洗練されており、平安神像彫刻のなかでも端正な出来映えをもつ秀作として賞される。 |
木造男神坐像(伝大巳貴命)
主名称: | 木造男神坐像(伝大巳貴命) |
指定番号: | 3465 |
枝番: | 02 |
指定年月日: | 1997.06.30(平成9.06.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 当社本殿(重文)の宮殿【くうでん】内に最近まで並座して祀られていた二躯の男神像である。主神像である落別命(於知別命・息束別命)像は、平安時代以降、宮廷の実務官僚氏族として活躍し、官務家とも称された小槻【おつき】氏の先祖神と伝えられている。〓頭冠、袍衣を着し、拱手持笏して坐す姿をヒノキの一材から丸彫りする。両袖が両足部まで垂れずに袂がかなり小さく、きわめて古式な袍衣を着し、服制は古態をとどめ、幾分大きめな頭部と両肘と両足を左右に大きく張った躰部がつくる正面観は安定感があり、頭部および上躰の奥行も深く、その量感の表現も古様である。ただ、眉根と球状の瞳をもつ眼を顔の中央に寄せて神威を表した顔立ちは、十世紀ころの作とみられる京都・禅定寺の四天王像(重文)などに通じるところも認められ、両腕と両足の着衣の衣文表現も構えに合わせて巧みに刻まれているものの、彫り口はかなり柔軟になっている。その製作は十世紀ころとみられるが、『園太暦』などによれば、当社は、貞観五年(八六三)の従五位下を皮切りに延喜十一年(九一一)の従四位下まで神階位の授与が続いてなされていることが判明しており、神階位の授与を考慮すれば、従四位下が授与された延喜十一年のあたりが製作の上限になろう。 配祀神の伝大己貴命像は、主神像よりも一回り小さく造られ、カヤ材と思われる一材から全容を丸彫りしている。頭部および躰部の奥行も深く、安定感のある像であり面貌表現は連眉が表されるなど古式であるが、肩は撫で肩になり、躰貌が総じて丸みを帯び、服制も主神像に準じるものの、簡略化されている。その製作は、主神像に多少遅れ、十一世紀に入ってからの造像とみられるが、耳などに多少素朴な表現も認められる主神像に比べると、造形は全体に洗練されており、平安神像彫刻のなかでも端正な出来映えをもつ秀作として賞される。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 225 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1941.11.06(昭和16.11.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 509 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1904.02.18(明治37.02.18) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 5躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 637 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1909.09.21(明治42.09.21) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
木造男神坐像(社伝蒲生稲寸三麻呂像)
主名称: | 木造男神坐像(社伝蒲生稲寸三麻呂像) |
指定番号: | 691 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1911.08.09(明治44.08.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 1115 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1899.08.01(明治32.08.01) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 1965 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1901.03.27(明治34.03.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 3239 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1968.04.25(昭和43.04.25) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 欅【けやき】の一木から一メートルを越す像の大部分を彫成するもので、こうした構造にふさわしい堂々たる男神坐像である。ことに、面奥を深くつくり、胸を張って坐る躰貌は安定し、眉を寄せ、眼を大きく見開いて神威を示す面相部には威風がある。本像の特色は、面相部は丸ノミを横につかって荒彫り風のノミ痕を示し、躰部は衣褶【いしゆう】を刻まず、全面に平ノミのハツリ痕を残している刀法にある。総体に粗放な古様を意図しながら、像容にはおだやかなまとまりがみられ、制作は平安中期(十一世紀)と思われ、当地方での注目すべき古像であると共に、現存神像中でもまれにみる大作である。 |
木造男神坐像
主名称: | 木造男神坐像 |
指定番号: | 3426 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1991.06.21(平成3.06.21) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 彫刻 |
ト書: | |
員数: | 1躯 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 巾子【こじ】に〓頭【ぼくとう】の冠をつけ、目をこらし、閉口する顔を僅かに左斜に向け、袍【ほう】と袴を身につけ、右足を外にして結跏趺坐風に坐る男神像である。胸前で右手を前に拱手【きようしゆ】する両手には、現在亡失しているが、笏【しやく】を差し込んだと思われる穴があけられている。 両膝頭に別材を当てるほか、両手先を含めその全容を木芯を中央付近に込めた樟【くす】の一材からほとんど丸彫りに近く彫成し、内刳りは全く施していない。所どころに乾漆による塑形が認められるが、冠の両側、両膝頭などはその層がかなり厚い。表面は彩色仕上げとしているが、著衣の端や衣文の峰には切金線が添えられている。 五〇センチ余の小像とはみえぬほど堂々とした像で、その木塊を思わせるような充実感のある造形や著衣に刻まれた幅広く鎬立った衣文表現は、いわゆる平安前期一木彫成像に通じ、寛平年間(八八九-八九八)の作と推定される奈良・薬師寺の僧形八幡神像(国宝)にも類似性がある。また眉目を吊り上げ、眉間に隆起する瘤【こぶ】をつくり怒りをあらわにする面貌は、やはり平安前期の天部の忿怒形像の表現に近い。こうした古様さは作風の上だけではなく、〓頭を前面でとめる上緒【あげお】や、その後方から纓【えい】を肩、上膊半ば辺まで垂下させる冠の制、乾漆を塑形に併用する一木造りの技法にも認められ、本像の製作時期は平安前期九世紀後半頃まで遡ろう。 現在、材の朽損するところも少なくなく、また面部等に干割れが走るが、土地の神として祀られる、この種の地主神像としては現存最古例の一つと考えられ、その甚だ注目される遺品といえよう。 なお、本像の尊名については、明治以降崇神【すじん】天皇とも呼ばれている。これは、近世の本社創立縁起にちなんだものかと思われ、確かな尊名は明らかでない。 |
- 木造男神坐像のページへのリンク