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木村健吾

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木村健悟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/04 04:53 UTC 版)

(木村健吾 から転送)

木村 健悟
プロフィール
リングネーム 木村健悟
木村たかし
木村聖裔
パク・チュー
木村健吾
本名 木村聖裔
ニックネーム 稲妻戦士
身長 186cm
体重 107kg
誕生日 1953年9月4日(58歳)
出身地 愛媛県新居浜市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 大相撲
トレーナー アントニオ猪木
坂口征二
ベニー・ユキーデ
デビュー 1972年8月2日
引退 2003年4月18日
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木村 健悟(きむら けんご、男性1953年9月4日 - )は、日本の元プロレスラー宮城野部屋所属の元大相撲力士。現品川区議会議員。 本名は、木村 聖裔(きむら せいえい、きむら たかしと紹介しているプロレスラー名鑑もある)。愛媛県新居浜市出身。プロレスラーとしての最終所属は新日本プロレス。ニックネームは「稲妻戦士」。区議会議員に当選後、ツィッターを更新していない。

目次

来歴

1969年、大相撲の宮城野部屋に入門し、木村山(きむらやま)の四股名で1969年7月場所初土俵。しかし約1年足らずで廃業、最高位は序二段30枚目。大相撲廃業後は、1972年1月に日本プロレスに入門し、1972年8月2日に鹿児島県喜界島中学校グラウンドでの佐藤昭雄戦でデビューを果たした。

1973年3月、坂口征二と共に新日本プロレスへ移籍。坂口の付き人だった木村は、アントニオ猪木の付き人であったライバル藤波辰巳と1970年代後半にジュニアヘビー級チャンプを争い、大旋風を巻き起こす。二人とも美しくビルドアップされており、トペやブランチャー等の場外へジャンプして飛び込むといった技は当時の日本では斬新であり若者を魅了。ゴールデンタイムでフルタイムドローになる名勝負の数々でジュニアヘビー級の人気が確立された。これにより、新日本プロレスの人気は全日本プロレスを大きく引き離した。

1980年代に入るとヘビー級に転向。長州力タイガーマスクがプッシュされる中、引き立て役的な役割が増える。1985年、映画ビー・バップ・ハイスクールに不良たちを一喝する教師役で出演。1985年12月、藤波辰巳とのタッグアントニオ猪木坂口征二組に勝利し、初代IWGPタッグ王座を獲得した。その後、藤波と敵対関係となり、幾多の熱戦を繰り広げる。この抗争は非常に盛り上がり、1987年1月には、後楽園ホールにて藤波対木村のシングルマッチのみの興行が行われた。木村は決着戦に敗れ海外遠征に出向き、ベニー・ユキーデのもとでフルコンタクト・キックボクシングを身につけて帰国した。帰国後、パンタロンスタイルとなり、大阪城ホールで、ケリー・ウイルソン(プロ空手)と異種格闘技戦を行い、バックドロップ、右ストレートのコンビネーションで勝利を飾った。

1992年8月、越中詩郎らと反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。

体力が衰え始めた頃に、小原道由から「こんな弱い奴とやらすな!」とまで罵られたこともあった。その当時、本人もそれを自覚していて2003年4月18日後楽園ホールの西村修とのシングル戦(キャッチルール)での大熱戦を最後に、引退した。引退試合の相手には長年のライバル・藤波を希望していたが、藤波の体調が優れず実現されなかった。引退後は、新日本プロレスのスカウト部長の要職に就き、テレビ解説も行なっていたが、2006年3月27日付けで自主退社した。

2006年4月、社長として株式会社円天興行を設立した。母体会社の会長を直接の師匠筋である坂口征二から紹介してもらったと新聞インタビューで語っている。

2007年9月に円天興業の社長職を辞した。2008年2月、都内にリサイクルショップをオープンした。

藤波との抗争からワンマッチ興行への流れ

発端は、1986年10月9日に開催されたINOKI闘魂LIVEの公開スパーリング(10月6日)に遡る。ランス・フォン・エリックとの対戦を予定されていた武藤敬司の凱旋帰国日程が遅れたことによるカード変更を受けて、木村が藤波への挑戦を表明したが、9月23日にIWGPタッグ王座を二人で奪回したばかりであり、時期尚早と藤波が対戦を拒否した。

翌シリーズでも木村は対戦を執拗にアピール。前田日明が闘魂LIVEの異種格闘技戦でのダメージからシリーズを全試合欠場となり、11月3日に予定されていたIWGPタッグ防衛戦(藤波&木村vs前田&藤原喜明戦)が流れたことから、藤波も対戦を受諾した。しかし、10月27日の奈良大会で、藤波がコンガ・ザ・バーバリアンにジャーマンを仕掛けた際に負傷(奥歯が抜け、手術して元に戻した)して欠場したため、対戦がまた実現せず(11月3日の代替カードはアントニオ猪木ケビン・フォン・エリックvs木村&武藤)。

次の'86ジャパン・カップ争奪タッグリーグでは藤波は武藤と、木村はジョージ高野とタッグを組んでエントリーしたが、共に決勝には進めず、12月10日の大阪城ホールで急遽シングルマッチが組まれたが、木村は淡白な内容で藤波に回転エビ固めで敗れた。

翌1987年、新日本の新春シリーズ「ニューイヤー・ダッシュ」開幕戦(1月2日)において木村のアピールで藤波vs木村戦が組まれた。木村は試合前に「正々堂々と戦って勝つ」、そして、選手紹介前に田中リングアナからマイクを取り上げ、「この試合に負けたら俺は海外に行くから! お前もそのぐらいの気持ちで来い!」とコメントした。(この試合のレフェリーはミスター高橋)しかし試合ではゴング前のボクシング・パンチの奇襲攻撃や、レッグサポーターに凶器を入れた稲妻レッグラリアートを敢行。フォール勝ちを奪うも、反則行為が発覚してノーコンテストとなった。木村は試合後に「勝つためには手段を選ばない」とコメントした。

内容を不服とした藤波から後日再戦の申し入れが出たことを受け、1月14日、後楽園ホールでワンマッチ興行開催の運びとなり、試合前半より中盤は木村の攻勢が目立ったが、先日の試合で見せたトライアングル・スコーピオンを封じられたり、この遺恨のポイントのひとつであったボクシング式パンチもあまり出さなかったためか、徐々に試合巧者である藤波に主導権を奪われていった。結局終盤、勝負を賭けた稲妻を藤波に空中でキャッチされ、サソリ固め逆エビ固めバックドロップ片逆エビ固め、の波状攻撃で最後は無念のギブアップ。今度は藤波が勝利し遺恨に決着がついた。この試合のレフェリーは上田馬之助が勤めた。なお、この試合はTVマッチとして録画中継されたが、急遽組まれたために、既にタレント活動もしていた古舘伊知郎の都合がつかず、映像に後で実況を被せる手法が取られた。これは音声では解説をしているはずの山本小鉄が、リングサイドで立ち働く姿が映像に何度も出てくるところから判明した。   両者の試合運びで注目すべきは、当日「完全決着戦」の色合いが濃かったため、リング中央のスプリングがはずされ、両者はわざと急角度でボディスラムを敢行したり意識的にグラウンドでの攻防を魅せたりと、試合の前半は非常に原始的でオーソドックスな展開となった。そして前述の通り上田馬之助がレフェリーを買って出たが、木村は試合中、再三上田にボクシング式パンチを制止され(プロレスのリングでは拳でのパンチは反則)、前回の試合でかなりダメージを与えた攻撃パターンを封じられたことも敗因として挙げられる。   ちなみに木村の必殺技である稲妻を空中キャッチされたのは、この試合が初めてであった。序盤~中盤、木村の攻勢が続いていたが、藤波に絶妙なムーブで切り返されたのはまさにこの試合のハイライトシーンであり、木村の負けを決定づけるシーンとなったといえるだろう。 木村は、普段は地方会場はもちろんのこと、大会場での試合においてであっても自らの持ち技以外めったに大技(言い方を変えれば観客をアッと言わせる技)を使わないが、この日は、トップロープ上に駆け上がった藤波に対して(つまり上に向かって)稲妻を敢行するなど、非常に積極的な動きが目立っていた。


木村の藤波に対する執念は相当なものであり、毎年の初詣で「高級車を買う、家を買う、藤波に勝つ」と3つの祈願をしていた。しかし初めの2つの願いは叶ったが、藤波に勝つ願いは遂に叶わなかった。




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