朝日映画製作
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朝日映画製作株式会社(あさひえいがせいさくかぶしきがいしゃ)は、かつて存在した日本の映画製作会社。
- ^ 伊藤武郎が1953年に設立した独立プロとは別
- ^ 1941年発足したニュース映画中心の日本映画社とは別。
- ^ 産業技術史資料情報センター
- ^ a b c d ショートフィルム再考−映画館の外の映像メディア史から 吉原順平II 教育映画・文化映画・ドキュメンタリー映画——第二次大戦の終わりまで(承前)2 戦時短編の思想——「映画法」と「文化映画」
- ^ Digital Meme
- ^ 朝日映画製作株式会社
- ^ 戦時下のスクリーン第一弾
- ^ 上映会情報発掘された映画たち2008
- ^ 作家の宮本百合子は、「文藝春秋」1946年9月号〜11月号に短期連載した小説「風知草」で、この映画のタイトルに似たフレーズを使い、「『君達は話すことが出来る』と、今は工場の横庭でかたまって話している人々の間を、重吉(引用者注=夫の宮本顕治のこと)は歩いて来る」と書いている。「新日本文学」1948年8月号に発表した「三年たった今日——日本の文化のまもり——」で、「『君たちは話すことができる』一巻は、日本の民主化の過程に忘れることのできない記念品となった」「このニュース映画は、素朴な描写のうちに溢れる濤のような自由への渇望を語っていた。」と書いた。
- ^ 社団法人日本映画製作者連盟の歴史
- 1 朝日映画製作とは
- 2 朝日映画製作の概要
朝日映画製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/09 09:56 UTC 版)
特筆以外すべて製作・配給は「朝日映画製作」、すべてトーキーである。 『戰ふ女性』 : 撮影田畑雅、1939年製作・公開 - 脚本・監督、22分尺で現存(NFC所蔵) 『鉄輪』 : 撮影林田重雄、1940年11月28日公開 - 監督・構成 『日本勤労歌 第一輯』 : 撮影田中武治・西本良之助、解説中村伸郎、1941年1月9日公開 - 構成 『燈火』 : 撮影星島一郎、1941年4月17日公開 - 監督・演出 『護れ傷兵』 : 1941年製作・公開 『世界一の隣組長』 : 原案・解説関屋五十二、撮影太田芳太郎、1942年8月27日公開 - 演出 『興亜之希望』 : 1942年製作・公開 『ニッポンバンザイ』 : 原案米山忠雄、脚本不明、ナレーション関屋五十二、1943年5月27日公開 - 三上良二と共同で構成、11分尺で現存(NFC所蔵)
※この「朝日映画製作」の解説は、「永富映次郎」の解説の一部です。
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固有名詞の分類
かつて存在した東京都の企業 | トレソーラ ファンドネット証券 朝日映画製作 富士映画 ワイズポリシー |
ドキュメンタリー映画 | セルロイド・クローゼット ハンナ・モンタナ ザ・コンサート 3D 朝日映画製作 スーパーサイズ・ミー ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR |
かつて存在した日本の映画会社 | 松戸常盤館 ヤマニ洋行 朝日映画製作 オペラ館 富士映画 |
日本の映画製作会社 | 現代ぷろだくしょん ラテルナ 朝日映画製作 グロービジョン 山口俊雄プロダクション |
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