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朝倉軌道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/03 03:44 UTC 版)
朝倉軌道(あさくらきどう)は、1908年から1940年まで、福岡県朝倉郡を中心とした地域において軽便鉄道・乗合バス・貨物自動車による陸運業を行なっていた日本の企業である。中央軌道や両筑軌道といった周辺の鉄道会社を傘下に置くなどし、この地方の交通の中核にあった。
また、同社の本線格であった二日市町(現・筑紫野市)-甘木町(現・朝倉市)-杷木町(現・朝倉市)の鉄道路線のみを指す場合もある。
- ^ 『甘鉄物語』 91頁
- ^ 『甘木市史 下巻』 203頁
- ^ 甘木近辺でバス事業を行なっていた
- ^ a b 『日本鉄道旅行地図帳12号 九州 沖縄』 p42
- ^ a b 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 67頁
- ^ a b 軌道法第十六条「軌道経営者ハ主務大臣ノ許可ヲ受ケタル場合ニ限リ軌道ノ譲渡又ハ事業若ハ運転ノ管理ノ委託若ハ受託ヲ為スコトヲ得」に抵触する。
- ^ 甘木近辺の個人業者の合併事業であった
- ^ 1921年6月の筑後川洪水で軌道が分断される大被害を受けてから苦しい経営状態が続いていた
- ^ a b 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 71頁
- ^ a b c d 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 68頁
- ^ 軌道法第十二条「軌道経営者ハ軌条間ノ全部及其ノ左右各〇・六一メートルヲ限リ道路ノ維持及修繕ヲ為スヘシ」
- ^ 「朝倉軌道気動車探求記(後編)」 64頁
- ^ 「朝倉軌道気動車探求記(後編)」 65頁
- ^ 『甘鉄物語』『全国軽便鉄道』『内燃動車発達史 上巻』など
- ^ 通常の鉄道車両においては、全ての車軸にブレーキが作用するようになっているが、朝倉軌道の場合は前輪にのみ作用するように設計されていた
- ^ a b c 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 70頁
- ^ a b 『内燃動車発達史 上巻』 300頁
- ^ 長唄の三味線奏者(人間国宝)で鉄道愛好家でもあった杵屋栄二の撮影が多い。
- ^ 『内燃動車発達史 上巻』 301頁
- ^ 当初の試作品は後輪ボギー、後に改造されたものは前輪ボギーとなっている
- ^ クランクシャフトからスプライン軸を介し、いきなり動軸を傘歯車で駆動させていた。
- ^ 『内燃動車発達史 上巻』 302頁
- ^ 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 72頁
- ^ 書類上、ガソリンカーの車番は1から10まで(4・9は欠番)となっていたが、15という番号が記された車両写真が残っている
- ^ a b 「朝倉軌道気動車探求記(後編)」 63頁
- ^ 2輌とする文献もある。(湯口徹 『石油発動機関車』 ネコ・パブリッシング、2009年)
- ^ 「朝倉軌道気動車探求記(前編)」 66頁
- ^ 『甘鉄物語』 94頁
- ^ 『甘鉄物語』 96頁
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