曽原とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 地名 > 曽原の意味・解説 

曽原

読み方:ソバラ(sobara)

所在 岡山県倉敷市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒710-0146  岡山県倉敷市曽原

曽原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/09 15:20 UTC 版)

曽原曾原(そばら、そはら)




「曽原」の続きの解説一覧

曽原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:46 UTC 版)

郷内」の記事における「曽原」の解説

明治前期以前児島郡曽原村称していた。種松山南東麓に位置し、南は福江、東は串田、西は広江接する。郷内北西端地区である。 清田八幡神社応永29年修造棟札をはじめ、以後棟札にも同社所在児林庄曽原村としている。また、『黄微古簡集』に永禄11年10月26日熊野十二所権現熊野神社)に出した毛利輝元元就連署禁制に、神領3ヶ一つに曽原庄とある。 江戸時代は、相給地で、池田豊次郎天城池田氏家臣給地浅野兵衛給地さらには蔵入地支配所天領)が領有した。『正保郷帳』では、石高277余り。『備陽記』には、享保6年記録として蔵入知行高分帳では石高339余りで、そのうち149余り池田豊治郎給地67余り浅野兵衛給地残り蔵入天領であった記載され前述の3領の合計同年田畑20町3反余り、池13ヶ所、家数66軒、人口377人としている。 文化年間の『岡山藩領手鑑』では、石高277余り直高339余りで、前述の3領の合計で田16町2反、畑4町2反余り、池・池井戸13ヶ所、家数70軒、人口321人、神社1社、寺1院(一等寺)、牛28頭、木挽3軒、紺屋屋各1軒とある。 幕末には、周辺地域同様に備前小倉織隆盛極め当地から小倉商人2人出ていることが『小倉問屋一条手続』に記されている。 エリア北東山裾真言宗御室派一等寺がある。『備陽国誌』では、古く護国寺、のち有南院と称したとしている。また、撮要録』に収められ延宝2年寺社員数帳には、新熊野福聚寺有南院とある。同寺は、江戸時代に南隣の福江13石5斗)を領有した享保3年現在の寺名改めたとされる

※この「曽原」の解説は、「郷内」の解説の一部です。
「曽原」を含む「郷内」の記事については、「郷内」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「曽原」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「曽原」の関連用語

曽原のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



曽原のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
日本郵政株式会社日本郵政株式会社
Copyright (C) 2024 JAPAN POST SERVICE Co.,Ltd. All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの曽原 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの郷内 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS