曼陀トンネルとは? わかりやすく解説

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曼陀トンネル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 17:43 UTC 版)

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座標: 北緯34度0分50.85秒 東経133度41分14.93秒 / 北緯34.0141250度 東経133.6874806度 / 34.0141250; 133.6874806 (曼陀トンネル)

曼陀トンネル
南口坑門
概要
位置 香川県観音寺市大野原町
徳島県三好市池田町
座標 北緯34度0分50.85秒 東経133度41分14.93秒 / 北緯34.0141250度 東経133.6874806度 / 34.0141250; 133.6874806 (曼陀トンネル)
現況 供用中
所属路線名 香川県道・徳島県道8号観音寺佐野線
運用
開通 1963年昭和38年)12月6日
所有 香川県徳島県
通行対象 自動車
技術情報
全長 414.5 m
道路車線数 2
6.0 m
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曼陀トンネル(まんだトンネル)は、香川県観音寺市大野原町徳島県三好市池田町とに跨る、香川県道・徳島県道8号観音寺佐野線トンネルである。総延長414.5m、車道幅員6.0m。

概要

財団法人香川県道路公社(当時)が事業主体となり1963年昭和38年)9月に竣工され、同年12月6日に供用を開始した[1]。工事は前年の1962年(昭和37年)4月熊谷組が2億4,211万7,000円で請け負っている[2]。当初は有料道路であったが経営が悪化したため香川県・徳島県の両県に譲渡されることになり、まず1973年(昭和48年)3月31日をもって有料道路の徳島県側2.0kmが事業部分廃止のうえ徳島県に無償譲渡され、残る香川県側0.5kmも2年後の1975年(昭和50年)3月31日に香川県へ4億2,100万円で譲渡され、全区間が無料開放された[1]

トンネル上部の尾根には曼陀峠がある。トンネルの名称でもある曼陀は曼荼羅が転流したもので、屋島の戦いの後に平家一門がこの峠に落ち延び、一族の供養のため曼荼羅供をいとなんだことから名付けられた[3]

周辺

北口(香川県側)脇に、全線舗装された林道の入口があり、それを利用するのが雲辺寺への近道である。

脚注

出典

[脚注の使い方]
  1. ^ a b これまでに廃止された道路運送法上の道路」 (pdf) 『道路関係四公団民営化推進委員会(第18回)議事次第』、道路関係四公団民営化推進委員会、2002年9月13日、2016年7月22日閲覧。 [信頼性要検証]
  2. ^ (株)熊谷組『熊谷組社史』(1968.09)|渋沢社史データベース”. 公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センター. 2016年7月22日閲覧。
  3. ^ 峠にある現地看板より [信頼性要検証]



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