暁征丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 06:14 UTC 版)
暁征丸(ぎょうせいまる)は、日本陸軍が太平洋戦争中に運用した砲艦。香港で鹵獲した中華民国の未成砲艦を整備して船団護衛に使用した。
注釈
- ^ 日本陸軍が香港で拿捕した未成状態の中国艦艇として練習艦「譚綸」があり、総トン数が一致するが同一艦かは明らかでない。同艦は中国政府により税関監視船として発注され1937年(昭和12年)1月に九龍ドックで起工されたもので、中華民国海軍所属の練習艦として使用する予定だったが、工程80%以上進捗の状態で1941年12月28日に日本陸軍により捕獲された。同艦の要目は、総トン数約750トン、純トン数約500トン、主機は三連成レシプロエンジン2700馬力、速力16ノット、航続距離2000海里である[5]。
- ^ 英語版Wikipediaのバンゴール級掃海艇の項目では、イギリス軍艦「ブリュー」(HMS Beaulieu )として香港で進水し「ランタン」(HMS Lantan )と改名して建造中だった艦の後身がGyosei Maru であるとしているが、同項目では1943年にさらにShima Maru へ改名したとなっており「暁征丸」の日本語資料と整合しない。なお、福井静夫によれば、日本陸軍は香港地区で建造途中のバンゴール級掃海艇を接収した後、「暁辰丸」として完成させ、哨戒任務に使用している[6]。
- ^ 日本側記録では「錦州丸」の沈没原因は潜水艦の魚雷であるが、アメリカ海軍の公式記録では「セイルフィッシュ」と航空機の協同戦果と認定されている[11]。
- ^ レンパン島かジャワ島レンバン県のいずれか不明。
出典
- ^ 海軍省 『海上交通保護用船名簿』 アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08050059300、画像32枚目。
- ^ a b c d e 駒宮(1977年)、166-167頁。
- ^ a b 駒宮(1972年)、132-133頁。
- ^ a b c d e f 駒宮(1972年)、136頁。
- ^ 佐世保捕獲検審所 『捕獲事件記録 中華民国海軍練習船 譚綸』 JACAR Ref.A08071220100、画像13枚目。
- ^ 福井静夫 『日本特設艦船物語』 光人社〈福井静夫著作集〉、2001年、273頁。
- ^ a b 吉田董夫 「慟哭の海‐一船舶砲兵の軌跡」『丸別冊』第19号、潮書房、1991年、83頁。
- ^ 駒宮(1972年)、18頁。
- ^ a b 「暁南丸ノ使用ニ関スル件」『昭和十七年 陸亜密大日記』第46号1/2、JACAR Ref.C01000712100
- ^ a b 駒宮(1977年)、169-170頁。
- ^ Cressman, Robert J. The Official Chronology of the US Navy in World War II, Annapolis: MD, Naval Institute Press, 1999, pp. 521-522.
- ^ “Opnemingsvaartuig Luymes (ex Gyosei Maru)”. Nederlands Instituut voor Militaire Historie. 2012年10月6日閲覧。
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