時代の一面とは? わかりやすく解説

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東郷茂徳

(時代の一面 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 17:40 UTC 版)

東郷 茂徳(とうごう しげのり、1882年明治15年〉12月10日 - 1950年昭和25年〉7月23日)は、日本外交官政治家太平洋戦争開戦時および終戦時の日本外務大臣欧亜局長や駐ドイツ大使および駐ソ連大使を歴任、東條内閣で外務大臣兼拓務大臣鈴木貫太郎内閣で外務大臣兼大東亜大臣


注釈

  1. ^ ただし、東郷と重光は在官中から、個人的な確執があったとされている。また、重光は不都合なことがある度に、歌で他人を揶揄していた点にも、留意しておく必要がある。
  2. ^ 刑としては重光に次いで軽い。

出典

  1. ^ a b 東市来町史編さん委員会 2005, p. 1035.
  2. ^ a b c 萩原、2005年、p.27
  3. ^ 萩原、2005年、pp.13 - 15
  4. ^ a b 萩原、2005年、pp.14 - 17
  5. ^ 萩原、2005年、pp.22 - 25
  6. ^ a b 萩原、2005年、pp.28 - 29
  7. ^ 萩原、2005年、p.30
  8. ^ 萩原、2005年、p.33
  9. ^ 萩原、pp.36 - 37
  10. ^ 萩原、2005年、p.36。父は法科大学への進学と将来の内務省入省、県知事就任を望んでいた。
  11. ^ a b 萩原、2005年、p.38
  12. ^ 萩原、pp.39 - 41
  13. ^ 萩原、2005年、p.42
  14. ^ 萩原、2005年、p.47、49
  15. ^ 萩原、2005年、pp.49 - 54
  16. ^ 筒井功『新・忘れられた日本人』p.212
  17. ^ Albert Axell, Hideaki Kase Kamikaze: Japan's Suicide Gods p.24, Longman, 2002
  18. ^ 東郷茂徳と太平洋戦争”. J-STAGE. 2023年10月30日閲覧。
  19. ^ 森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか -「両論併記」と「非決定」-』新潮選書、2012年、p103
  20. ^ 「東郷審理終る」『読売新聞』、1947年12月27日、朝刊。
  21. ^ 「巣鴨で”奇襲”口どめ」『朝日新聞』、1947年12月20日、朝刊、1面。
  22. ^ a b 朝日新聞. (1947年12月20日) 
  23. ^ 『時代の一面』より。
  24. ^ a b 長谷川毅『暗闘 (上)』中公文庫、2011年、pp.148 - 149
  25. ^ a b NHK取材班『太平洋戦争日本の敗因 6 外交なき戦争の終末』角川文庫、1995年、pp.115 - 116
  26. ^ a b 『暗闘(上)』pp.149 - 151
  27. ^ a b 『太平洋戦争日本の敗因6 外交なき戦争の終末』pp.116 - 120
  28. ^ 『暗闘 (上)』、p189
  29. ^ 『暗闘(上)』pp.190-191
  30. ^ 『暗闘(上)』pp.206-207。この訓令はスターリンも承認したもので、長谷川毅はソ連首脳が日本の戦争を長引かせるのに広田・マリク会談を利用したと記している。
  31. ^ 『暗闘(上)』pp.223 - 226
  32. ^ 『太平洋戦争日本の敗因6 外交なき戦争の終末』pp,192 - 198
  33. ^ a b 『暗闘 (上)』pp.152-153
  34. ^ 『暗闘(上)』pp.353 - 354
  35. ^ 竹内修司『幻の終戦工作』文春新書、2005年、p201。この内容は中尾裕司(編)『昭和天皇発言記録集成 下』(芙蓉書房出版、2003年)が出典である。
  36. ^ 纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』新日本出版社、2006年、p130。加瀬の記述は『ミズリー号への道程』からの引用。纐纈は「原則的に受諾可能」だったとしても、天皇も外務省当局もソ連との交渉による和平実現の期待を依然として持ち続けていたため、その結果を見るまでは宣言を即座に受け入れるところまで踏み切れなかったとも記している。
  37. ^ 『暗闘(上)』pp.354-355
  38. ^ a b 『暗闘(上)』pp.356-357
  39. ^ 『暗闘(上)』p358
  40. ^ 長谷川毅『暗闘(下)』中公文庫、2011年、pp89 - 95。ポツダム宣言受諾は一種の条約と見なされ、批准権を持つ枢密院の承認が必要であり、それを簡略化する目的で議長である平沼が出席していた。
  41. ^ a b c 『暗闘(下)』pp.106 - 112
  42. ^ 「東郷前外相、外人記者に語る」『朝日新聞』、1945年9月18日、朝刊、1面。
  43. ^ 「親電 木戸と東條が一蹴」『読売新聞』、1947年12月18日、朝刊。
  44. ^ 「東郷前外相と安部大将 逮捕令」『読売新聞』、1945年9月30日、朝刊。
  45. ^ 読売新聞戦争責任検証委員会『検証 戦争責任 2』中央公論新社、2006年10月、227頁。ISBN 4-12-003772-X 
  46. ^ 「昭和戦争」読売新聞検証報告 戦争の惨禍、指導者責任=見開き特集
  47. ^ 竹内修司『幻の終戦工作』文春新書、2005年、p203
  48. ^ 『暗闘(上)』pp.276 - 279
  49. ^ 『暗闘(上)』pp.228 - 229
  50. ^ 『暗闘(上)』p360
  51. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 法廷証第127号: [東郷茂徳關スル人事局履歴書]
  52. ^ 『官報』第4182号「叙任及辞令」1940年12月13日。
  53. ^ 官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  54. ^ 『官報』第4038号「叙任及辞令」1926年2月12日。
  55. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  56. ^ 『官報』1941年5月12日 敍任及辭令
  57. ^ 『官報』1938年4月11日 敍任及辭令
  58. ^ 『官報』1942年2月12日 敍任及辭令
  59. ^ a b c d e f Tôgô, Edith 東郷・エディータ , geb. Giesecke (Pitschke), verw. de Lalande ( 3.2.1887-4.11.1967)日独交流ポータルサイト「Das japanische Gedächtnis - 日本の想い、ドイツの想い」
  60. ^ 光文社『クラッシィ』1992年9月号「日本の貴婦人」


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