明応の政変とは? わかりやすく解説

めいおう‐の‐せいへん【明応の政変】

読み方:めいおうのせいへん

室町時代後期明応2年(1493)、管領(かんれい)細川政元将軍足利義材(よしき)(後の義稙(よしたね))を廃位し、義材の叔父の子である足利義遐(よしとお)(後の義澄(よしずみ))を擁立した政変。この事件戦国時代始まりとする説がある。


明応の政変

読み方:メイオウノセイヘン(meiounoseihen)

室町時代政治的事件


明応の政変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 18:16 UTC 版)

明応の政変(めいおうのせいへん)は、室町時代明応2年(1493年)4月に細川政元日野富子と共に起こした、室町幕府における将軍の擁廃立事件。


  1. ^ a b 鈴木良一「戦国の争乱」『岩波講座日本歴史 第8巻 中世4』1963年 4頁。
  2. ^ a b c 山田 2016, p. 55.
  3. ^ 山田 2016, p. 54.
  4. ^ 山田 2016, p. 26.
  5. ^ a b c 山田 2016, p. 56.
  6. ^ a b 高鳥廉「戦国期の蔭涼職と幕府政治」『足利将軍家の政治秩序と寺院』(吉川弘文館、2022年) ISBN 978-4-642-02976-6)P295-298.
  7. ^ 山田 2016, p. 57.
  8. ^ a b c 山田 2016, p. 60.
  9. ^ 山田 2016, pp. 61–66.
  10. ^ 『大乗院寺社雑事記』延徳3年8月7日条
  11. ^ a b 山田 2016, p. 93.
  12. ^ a b c d 山田 2016, p. 67.
  13. ^ a b c d e 山田 2016, p. 94.
  14. ^ 山田 2016, pp. 93–94.
  15. ^ a b c d e f g h 山田 2016, p. 92.
  16. ^ 山田 2016, p. 61.
  17. ^ 山田 2016, p. 72.
  18. ^ a b c d 山田 2016, p. 74.
  19. ^ 『大乗院寺社雑事記』明応2年閏4月4日条には、「悉皆指南被申」とある。
  20. ^ a b 大阪市史編纂所 1999, p. 113.
  21. ^ 近衛政家後法興院記』明応2年6月11日条。
  22. ^ 親長卿記』明応2年4月26日条及び『後法興院記』・『蔭凉軒日録』明応2年4月27日条。
  23. ^ a b 山田 2016, p. 90.
  24. ^ 山田 2016, p. 75.
  25. ^ a b c d e 山田 2016, p. 76.
  26. ^ 藤井 2014, pp. 40–41.
  27. ^ 山田 2016, pp. 75–76.
  28. ^ 『北野社家日記』
  29. ^ 『大乗院寺社雑事記』明応2年閏4月19日条。
  30. ^ a b c 山田 2016, p. 91.
  31. ^ 国会図書館デジタルコレクション史料大成『親長卿記』126コマ 2019年4月19日閲覧
  32. ^ 今谷明『天皇と天下人』新人物往来社 1993年、211-212頁。
  33. ^ 森田 2009, p. 17.
  34. ^ 福島 2009, p. 55.
  35. ^ a b c 山田 2016, p. 77.
  36. ^ a b c 山田 2016, p. 78.
  37. ^ 山田 2016, p. 97.
  38. ^ a b 「葉室光忠」『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。 
  39. ^ a b c 山田 2016, p. 110.
  40. ^ 院記
  41. ^ a b c 山田 2016, p. 95.
  42. ^ a b 『大乗院寺社雑事記』明応2年閏4月10日条
  43. ^ 山田 2016, p. 69.
  44. ^ a b 山田 2016, p. 71.
  45. ^ 山田 2016, p. 81.
  46. ^ a b 山田 2016, p. 68.
  47. ^ a b c 山田 2016, p. 82.
  48. ^ a b c d e f g 山田 2016, p. 89.
  49. ^ 山田 2016, p. 84.
  50. ^ 山田 2016, p. 86.
  51. ^ 谷口雄太「戦国期斯波氏の基礎的考察」『年報中世史研究』第39号、2014年。/所収:谷口雄太『中世足利氏の血統と権威』 吉川弘文館、2019年、146-153頁。ISBN 978-4-642-02958-2
  52. ^ 山田 2016, pp. 98–99.
  53. ^ 山田 2016, p. 99.
  54. ^ 山田 2016, pp. 99–100.
  55. ^ 山田 2016, p. 108.
  56. ^ 山田 2016, p. 120.
  57. ^ 山田 2016, p. 126.
  58. ^ a b 山田 2016, p. 133.
  59. ^ 山田康弘「将軍義輝殺害に関する一考察」『戦国史研究』43号、2002年。 


「明応の政変」の続きの解説一覧

明応の政変

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:32 UTC 版)

畠山尚順」の記事における「明応の政変」の解説

文明7年1475年12月20日畠山政長嫡子として誕生した。父・政長は応仁の乱畠山義就総州家)と東西分かれ壮絶な家督争い展開したことで有名である。 文明18年1486年7月19日尚順は9代将軍・足義尚一字貰い元服し名門守護家の後継者として歴史登場する元服細川政元邸で行われ同時に従五位下尾張守任じられる延徳2年12月1491年)、義就が没し尾州家優勢決定的となっていた。 延徳4年1492年)、10代将軍足利義材義尹義稙に従って近江への遠征長享・延徳の乱)など実績重ねてゆく。 明応2年1493年)、父が義材を動かし河内畠山義豊(義就の子討伐に向かうと尚順もこれに同行した。しかし、義材と父に反発する細川政元日野富子伊勢貞宗結んでクーデター起こし新たな将軍として義材の従兄に当たる義遐(義澄)を擁立する(明応の政変)。逆に孤立状態となった父は河内正覚寺において重臣と共に自決、義材は捕らえられ京都幽閉され尚順紀伊逃げ延びたものの、畠山氏家督総州家の義豊に奪われてしまった。 父と共に自決した重臣中には河内守護代であった遊佐長直など、これまで父の統治支えた多く人材含まれており、在国していた越中守護代の神保長誠健在であったが、既に病身であり、政元の監禁から逃れた義材を迎えることに成功したものの(越中公方)、越中尾州家地盤をおさえるのがやっとの状態であった紀伊逃亡後、5月襲撃してきた政元方赤松政則水軍紀伊海賊力を借りて撃破9月に義豊の紀伊侵攻があったものの、これは全て退けており、父の時に主権確立した紀伊において尾州家軍事的優位は動かなかったものの、河内への反攻はしばらく後のことになる。 明応4年1495年3月、義豊が紀伊南部国人達と図り再度紀伊侵攻した時も撃退同年10月と翌5年1496年10月河内侵攻失敗したが、紀伊反対勢力駆逐与党糾合尽くし徐々に力を蓄えていった。

※この「明応の政変」の解説は、「畠山尚順」の解説の一部です。
「明応の政変」を含む「畠山尚順」の記事については、「畠山尚順」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「明応の政変」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



明応の政変と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明応の政変」の関連用語

明応の政変のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明応の政変のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明応の政変 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの畠山尚順 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS