早稲田大学校歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:46 UTC 版)
ウィキソースに都の西北の原文があります。 相馬御風 東儀鉄笛 作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛で、創立25周年(1907年)に制定された。三番から構成され、特に一番の歌詞の冒頭の「都の西北 早稲田の杜に」のフレーズは有名であることから、別名『都の西北』と称される。早稲田大学自身も「都の西北」と称されることが多い。また各番の最後にある「わせだ わせだ……」のフレーズも特に有名で、これは小説家でもあり、同大学で教鞭を執った坪内逍遥の発案によるものである。イェール大学の学生歌『Old Yale』のメロディーを参考に作られたという。『Old Yale』自体も1837年にイギリスで流行していた曲『The Brave Old Oak』がその原曲とされており、さらに18世紀の曲『Hearts of Oak』がルーツではないかとも指摘されている。同志社大学のカレッジソングもイェール大学の校歌と同じメロディーであり、イェール大学との関係が強固である。伊藤博文初代内閣総理大臣もイェール大学の博士号を授与されており、また、初代日本銀行総裁の吉原重俊もイェール大学出身であり、明治時代における日本はイェール大学との結びつきが強かったと考えられている。 明治40年(1907年)10月21日、創立25周年式典において陸軍戸山学校軍楽隊の吹奏により初めて披露された。 作詞者の相馬御風は早稲田大学卒業の詩人で、三木露風や野口雨情らとともに早稲田詩社を結成し「口語自由詩」を提唱した。作曲者の東儀鉄笛は早稲田大学の前身・東京専門学校出身(中退)であり、早稲田中学校・高等学校の第一校歌も作曲している。 早稲田大学を象徴する存在であり、長らく日本三大校歌の一つとも言われてきた[要出典]。 この大学校歌は附属校の早稲田大学高等学院・中学部および早稲田大学本庄高等学院の校歌でもある。系属校の早稲田佐賀中学校・高等学校では「学園歌」名義で使用されている。 早稲田実業学校の校歌の歌い出しも「都のいぬゐ早稲田なる」で始まるように、「都の西北」の「西北」は乾(戍亥)を表し、天・君主・太陽などを象徴している(『広辞苑』『大辞泉』など参照)。 「都の西北」が制定される以前は、明治35年に早稲田大学開校式祝典に際して制定された記念歌『煌々五千の炬火』(作詞:坪内逍遥、曲は永井建子の『元寇』を転用)が校歌として扱われていた。 3番の歌詞の冒頭は後年「あれ見よあしこの」 から「あれ見よかしこの」と改変されたが、あとあの頭韻(alliteration)を破る行為であって決して許されぬという批判もある。
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