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日立航空機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/01/11 14:15 UTC 版)

日立航空機株式会社(ひたちこうくうき-)は、第二次世界大戦まで軍用航空機、及び航空機エンジンの製造を行っていた企業である。

初の国産航空機エンジン「神風」を開発した東京瓦斯電気工業が1939年2月に日立製作所へ経営権を譲渡し、その航空機部門を1939年5月に分離独立して出来た会社で、1941年1月から終戦までの間に航空機4機種1,783機とエンジン14機種13,571基を製造した。これは同期間中の日本の総生産数の2.6%と11.6%に相当する[1]

航空機メーカーとはいえ、三菱中島川崎川西の様な機体設計などはせず、練習機の製造と、練習機用小型エンジンの製造供給が主であった。戦時中の最盛期には5箇所に工場を持ち、計34,000人を超える従業員が在籍していた。


  1. ^ 『太平洋戦争中の日立航空機株式会社』p.2
  2. ^ 以上、1939年5月から1945年7月までの延べ生産実績1,829機は、『太平洋戦争中の日立航空機株式会社』付録A.全体生産計画、能力対実績表による。J・B・コーヘン『戦時戦後の日本経済』上巻p.318は、1941年から1945年の生産数を1,783機としており、『太平洋戦争中の日立航空機株式会社』p.2の数字と一致し、付録Aの同時期の生産数1,737機と異なっている。『戦時戦後の日本経済』と付録Aの年別生産数を比較すると、1941年から1944年までは一致しているが、1945年の数字に差異が生じており、『戦時戦後の日本経済』は201機に対し、付録Aは155機となっている。
  3. ^ 『太平洋戦争中の日立航空機株式会社』p.2では大森工場となっている。しかし、同p.14には他の場所で製造されたハ11(初風)が千葉工場でツ11に改造されたとあり、p.20 - 22には千葉工場で撮影されたツ11の写真が掲載されている。付録A.全体生産計画、能力対実績表では初風と同じ行にまとめられており、1945年は千葉工場でツ11(初風+JET)を製造とあり、5月から7月までに63基が製造されている。
  4. ^ 当時の航空機産業に参入していたのは中島飛行機三菱だけで、日本の航空機産業を育成するために、山本は三井住友、日立などの大会社にも航空産業に参入してもらえないかと考えていた。これに対し日立側は技術者の戦時動員の免除を条件として要求した。
  5. ^ ゼノア/会社沿革、ハスクバーナ・ゼノア株式会社
  6. ^ 「シンプルな事業を核に、挑戦し続ける千葉の製粉会社」、千葉商工会議所
  7. ^ 沿革、千葉製粉株式会社


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