日本紀とは?

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にほんぎ 【日本紀】

日本書紀以下の六国史指していう。また,特に,日本書紀のこと。

日本書紀

(日本紀 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/09 02:27 UTC 版)

日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文編年体をとる。全30巻。系図1巻が付属したが失われた[1]




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  1. ^ 神野志隆光 『知っ得 日本の古典 名文名場面100選』 國文學編集部編、學燈社(原著2007年9月25日)、初版、p. 11。ISBN 978-4-312-70023-02009年11月13日閲覧。
  2. ^ 栄原永遠男『日本の歴史4 天平の時代』集英社、1991年出版、39頁
  3. ^ 笹川説によれば、建皇子の生母と葬地に関する記述の整合性に問題があり、天武天皇の時代から国家的事業として『日本書紀』の編纂作業が行われたとすれば、天武天皇の皇后(持統天皇)の実弟に関する疑問点は彼女から尋ね得た筈だとする。また、川島皇子らは「上古の諸事」に関する編纂を命じられたとされているのに、当の天武天皇の時代の出来事(=現代史)を含める『日本書紀』の実態は天武天皇の命と矛盾するとしている、とも指摘している。
  4. ^ 笹川尚紀「『日本書紀』編修論序説」(初出:『史林』第95巻第5号(2012年)/笹川『日本書紀成立史攷』(塙書房、2016年)ISBN 978-4-8273-1281-2
  5. ^ 笹川尚紀「『日本書紀』の編纂者と本書の構成」(笹川『日本書紀成立史攷』(塙書房、2016年)ISBN 978-4-8273-1281-2) 緒論
  6. ^ 笹山晴生「続日本紀と古代の史書」『平安初期の王権と文化』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-04632-9 P113
  7. ^ 坂本太郎『六国史』吉川弘文館、1970年(昭和45年)11月20日。ISBN 4-642-06602-0
  8. ^ 6世紀の中頃以降に、言い伝えを元に日本の歴史をまとめたもの。かつて、津田左右吉は、これらは欽明天皇のころにまとめられたと推定したが、根拠は希薄であり、現在ではむしろ文字が常用されたと確実に推定できる聖徳太子のころまで下げる意見もある。
  9. ^ 『日本書紀』における「天地開闢」には本文と6つの異伝が挙げられている。
  10. ^ 森(1999)
  11. ^ 群書類従』 第貮拾六輯 雜部 所収
  12. ^ 参考:三革令=甲子革政/戊午革運/辛酉革命
  13. ^ 井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中公文庫、2007年, 278-279頁
  14. ^ 異説では、那珂通世の計算には誤認があり、一蔀は「革命勘文」の引用のとおり1320年が正しく従って逆算起点は斉明天皇7年(661年)の辛酉の年になるともいう。[要出典]
  15. ^ 『三國志』魏書 東夷伝 倭人にある裴松之注に引用される『魏略』逸文に「其俗不知正歳四節但計春耕秋収爲年紀」(その俗、正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す)との倭の風俗記事があることから、1年を2倍にして年次を設定したとする2倍暦説がある。しかし2倍暦で『書紀』紀年の該当期間が矛盾なく説明できる訳ではないことから、学界では支持するものは少ない。[要出典]
  16. ^ 紀年解釈の試みとして、倉西裕子は「日本書紀における紀年の編成をめぐる一考察」(2002年(平成14年))と『日本書紀の真実』(2003年(平成15年))で、日本書紀の紀年法は、神功皇后摂政元年(201年)から雄略天皇5年(461年)までの間において、プラス・マイナス120年構想、多列・並列構造にあると発表した。すなわち、神功紀(神功元年-神功69年)においては69(神功紀の紀年数)-189(実際に経過した年数)=-120という式が成り立ち、応神天皇元年(390年)から雄略天皇5年(461年)までの間には、192(応神元年-雄略5年までの紀年数の合計)-72(実際に経過した年数)=+120年という式が成り立つとする。しかし、前者は神功紀の実際に経過した年数が189年であるとする理由が不明であり、後者は応神元年を2運繰り下げれば容易に出てくる説で何ら新味はない。いずれにせよ、倉西説で在位年数はじめ朝鮮史書を参照した記事以外の編年が確定できるわけではない。[要出典]
  17. ^ たとえば、十七条憲法の制定は「推古十二年夏四月丙寅戊辰」であるが、これは四月一日の干支が丙寅であって、戊辰は三日である。
  18. ^ 元嘉暦は中国・南朝の何承天(かしょうてん)がつくった暦で、元嘉22年(445年)から施行され、百済や日本に伝来した。
  19. ^ 儀鳳暦は唐の李淳風(りじゅんほう)がつくって高宗の麟徳(りんとく)2年(天智天皇4年=665年)から使用された麟徳暦を指すと考えられている。
  20. ^ a b 遠藤慶太「『日本書紀』の分註」(初出:『ヒストリア』214号(大阪歴史学会、2009年)/所収:遠藤『日本書紀の形成と諸資料』(塙書房、2015年)) ISBN 978-4-8273-1272-0
  21. ^ 荊木美行「『日本書紀』「系図一巻」再論」『記紀と古代史料の研究』国書刊行会、2008年(平成20年)2月20日、pp. 3-38。ISBN 978-4-336-04998-8
  22. ^ 山田秀雄「即位前紀と大歳記事」『日本書紀』歴史新書(日本史)19、ニュートンプレス、1979年(昭和54年)6月20日、pp. 39-40。ISBN 4-315-40170-6
  23. ^ 青木周平「日本書紀の諸本」『古代説話記紀編』おうふう、1988年(昭和63年)4月20日、pp. 20-32。ISBN 4-273-02245-1
  24. ^ 参考:『古事記日本書紀必携』学燈社
  25. ^ 本来は漢字の声調を示す記号であるが、ここでは日本語のアクセントを示すのに用いられている
  26. ^ むろん、祖先として伝説上の人物を書いたもので近代的な意味では正確な内容とはいえない。
  27. ^ 以下、山尾(1999)を参照。
  28. ^ 百済三書記事の中には、百済王が天皇の「黎民」と「封」建された領土とを治め、自分たちの国は天皇に「調」を貢いで仕えまつる「官家(みやけ)」の国、元来の天皇の「封」域を侵して「新羅の折れる」加羅諸国を天皇の命令で「本貫に還し属け」てほしい、自分は天皇の「蕃」(藩屏)をなす「臣」であるなどの記述があふれ、地の文には、百済王が、天皇から全羅北道の地を「賜」与されたとある。
  29. ^ 他に、「阿花王立つ、貴国に礼なし」、(木刕満致は)「我が国に来入りて、貴国に往還ふ」
  30. ^ 山尾(1999)注釈、山尾幸久「飛鳥池遺跡出土木簡の考察」『東アジアの古代文化』、1998年(平成10年)、97頁
  31. ^ 山尾(1999)注釈、坂本太郎「継体紀の史料批判」『坂本太郎著作集 二』吉川弘文館、1988年(昭和63年)。久信田喜一「『百済本記』考」『日本歴史』1974年(昭和49年)、309頁。鈴木靖民「いわゆる任那日本府および倭問題」『歴史学研究』1974年(昭和49年)、405頁。山尾幸久「百済三書と日本書紀」『朝鮮史研究会論文集18』龍渓書舎、1978年(昭和53年)
  32. ^ 山尾(1999)注釈、山尾幸久『カバネの成立と天皇』吉川弘文館, 1998
  33. ^ 天皇が百済王に「賜」わったという地は、忠清道の洪城、維鳩、公州付近から全羅道の栄山江、蟾津江流域にまで及んでいる。これは、滅亡時の百済王が独立して、かつ正当に統治していた国家の領土とほぼ一致する。しかし、7、8世紀の交の在日百済王族、貴族はそれを天皇から委任された統治と表現せざるを得ない臣下の立場にあった。このような観念を実体化して、「高麗、百済、新羅、任那」は「海表の蕃屏として」「元より賜はれる封の限」をもつ「官家を置ける国」だった(『継体紀』)などというのは信頼し難い。山尾(1999)
  34. ^ 堀(1998)
  35. ^ 上垣外(2003)
  36. ^ 山内(2003)
  37. ^ 沈(2003)
  38. ^ 鈴木(1991)
  39. ^ 『読売新聞』2004年(平成16年)2月6日
  40. ^ 鄭大均 『日本のイメージ』 中央公論社中公新書 1439〉、1998年10月ISBN 978-4121014399p177







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