日本特別掃海隊とは? わかりやすく解説

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日本特別掃海隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 07:18 UTC 版)

日本特別掃海隊(にほんとくべつそうかいたい)は、朝鮮戦争の際に、国連軍の要求で、連合国軍占領下の日本海上保安庁が派遣した掃海隊。特別掃海隊とも。


注釈

  1. ^ 1945年9月2日連合国最高司令官指令第2号には、太平洋戦争中の機雷を除去することを目的として「日本帝国大本営は一切の掃海艇が所定の武装解除の措置を実行し、所要の燃料を補給し、掃海任務に利用し得る如く保存すべし。日本国および朝鮮水域における水中機雷連合国最高司令官の指定海軍代表者により指示せらるる所に従い除去せらるべし」とあり、連合国軍の命令により海上保安庁が朝鮮水域において掃海作業を実施する法的根拠は一応存在していた[5][4]
  2. ^ Mine Sweeperの頭文字[6]
  3. ^ 日本共産党吉岡吉典の質問に対する日本国政府(中曽根政権)の回答においても、掃海部隊の派遣は米国極東海軍司令官の指令に従って行われたとされている[8]
  4. ^ 公式の『MS14号触雷報告』では、僚艇であるMS06号の通船により7名が収容されたと報告されているが、実際にはこの通船には真水が貯められていたため、これを抜いて海面に降ろすまでに時間を要し、また海面状況も悪かったため、通船での救助は断念された。このように通船に水が張られていたのは、もともと駆特型掃海艇の真水タンクの容量が小さかった上に、元山沖で米海軍の補給艦「ルーズベルト」から補給を受けた際に真水の補給に問題があったためであった[18]
  5. ^ 1978年11月に能勢隊長が当時の状況を述懐し書き記した防衛研修所資料「朝鮮戦争に出動した日本特別掃海隊」では、米軍から「15分以内に出なければ砲撃する」と通達されたとされ、元MS03乗務員も「米軍が早く帰らんと撃つぞと言ってる[20]」と艇長から聞いたと証言している。ただし海上保安庁が帰国直後の同隊長から事情聴取した際には砲撃の脅しについては言及されておらず、また文脈からも、スミス少将と田村総指揮官との協議で"Fire"という言葉が使われたとすれば、「砲撃」ではなく「解雇」の意味で使われたと考えるのが自然である旨、水交会では指摘されている。当時、米軍では、日本の掃海艇については「契約に基づく労務借上」として理解されていた。また平間洋一は、雇用(Hire)を解雇するという言い回しの中で Hireを Fire(砲撃)と誤聞したのではないかと推測しているが、水交会では、単純に Fire を「砲撃」と誤訳したと考えるほうが自然であろうと指摘している[2][19]
  6. ^ 10月21日、米第8軍は平壌の占領を宣言した。さらに西部海岸方面における作戦の進展に伴い、元山同様濃密な機雷が敷設されている鎮南浦を使用可能にすることが喫緊の課題となっていた[4]

出典

  1. ^ a b 海上幕僚監部防衛部 2012, pp. 9–21.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 能勢 2011.
  3. ^ a b c d e f g h i 大賀 2011.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 鈴木 2005.
  5. ^ a b c 大久保 1978, pp. 205–211.
  6. ^ a b 【6】海保マーク外し、北へ進む”. 神戸新聞NEXT. 2020年10月21日閲覧。
  7. ^ a b c 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 42–43.
  8. ^ 朝鮮戦争への日本人のかかわりに関する質問”. www.sangiin.go.jp. 参議院 (1987年7月5日). 2020年10月25日閲覧。
  9. ^ 海上幕僚監部防衛部 2009, p. 22.
  10. ^ a b c d 能勢 1978.
  11. ^ a b c d e f g h i j 海上幕僚監部防衛部 2009, p. 15.
  12. ^ 相川 2011.
  13. ^ 海上幕僚監部防衛部 2009, p. 137.
  14. ^ a b 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 44–47.
  15. ^ a b 大久保 1978, pp. 246–253.
  16. ^ 海上幕僚監部防衛部 2009, p. 48.
  17. ^ a b 本橋 2011.
  18. ^ 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 49–55.
  19. ^ a b c d e 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 58–63.
  20. ^ 【9】戦場離脱後、再び任務に”. 神戸新聞NEXT (2016年12月19日). 2020年10月21日閲覧。
  21. ^ a b c d e f 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 64–66.
  22. ^ 溝辺 2011.
  23. ^ a b c d 大久保 1978, pp. 253–257.
  24. ^ a b 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 67–68.
  25. ^ a b c d e 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 68–73.
  26. ^ a b c d e 大久保 1978, pp. 234–246.
  27. ^ a b c d e 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 74–81.
  28. ^ a b 海上幕僚監部防衛部 2009, pp. 88–90.
  29. ^ 拳骨 2015.
  30. ^ 大賀 良平(おおが りょうへい)”. www3.grips.ac.jp. 政策研究大学院大学. 2020年10月21日閲覧。
  31. ^ 金 2007, p. 156.
  32. ^ 金 2007, p. 157.
  33. ^ 金周龍「回顧録」
  34. ^ 藤井 2005.


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