にっぽんちんぼつ【日本沈没】
日本沈没
原題: | |
製作国: | 日本 |
製作年: | 1973 |
配給: | 東宝 |
スタッフ | |
監督: | 森谷司郎 モリタニシロウ |
製作: | 田中友幸 タナカトモユキ |
田中収 タナカオサム | |
原作: | 小松左京 コマツサキョウ |
脚本: | 橋本忍 ハシモトシノブ |
撮影: | 村井博 ムライヒロシ |
木村大作 キムラダイサク | |
SFX: | 富岡素敬 |
井上泰幸 イノウエヤスユキ | |
森本正邦 モリモトマサクニ | |
三瓶一信 サンペイカズノブ | |
田淵吉男 タブチヨシオ | |
特撮監督: | 中野昭慶 ナカノテルヨシ |
音楽: | 佐藤勝 サトウマサル |
美術: | 村木与四郎 ムラキヨシロウ |
編集: | 池田美千子 イケダミチコ |
録音: | 伴利也 バントシヤ |
スクリプター: | 田中一清 タナカカズキヨ |
(東大教授)竹内均 | |
(東大教授)大崎順彦 | |
(東大教授)奈須紀幸 | |
(気象研究所地震研究部長)諏訪彰 | |
小松左京 コマツサキョウ | |
スチール: | 石月美徳 |
助監督: | 橋本幸治 ハシモトコウジ |
照明: | 佐藤幸次郎 |
キャスト(役名) |
藤岡弘、 フジオカヒロシ (小野寺俊夫) |
いしだあゆみ イシダアユミ (阿部玲子) |
小林桂樹 コバヤシケイジュ (田所博士) |
滝田裕介 タキタユウスケ (幸長助教授) |
二谷英明 ニタニヒデアキ (中田) |
中丸忠雄 ナカマルタダオ (邦枝) |
村井国夫 ムライクニオ (片岡) |
夏八木勲 ナツヤギイサオ (結城) |
丹波哲郎 タンバテツロウ (山本総理) |
伊東光一 イトウコウイチ (外務大臣) |
松下達雄 マツシタタツオ (通産大臣) |
河村弘二 カワムラコウジ (建設大臣) |
山本武 ヤマモトタケシ (運輸大臣) |
森幹太 モリカンタ (防衛庁長官) |
鈴木瑞穂 スズキミズホ (科学技術庁長官) |
垂水悟郎 タルミゴロウ (総理府長官) |
細川俊夫 ホソカワトシオ (官房長官) |
加藤和夫 カトウカズオ (三村秘書官) |
中村伸郎 ナカムラノブオ (野崎特使) |
島田正吾 シマダショウゴ (渡老人) |
角ゆり子 スミユリコ (花江) |
梶哲也 カジテツヤ (海洋学者) |
稲垣昭三 イナガキショウゾウ (調査団員) |
内田稔 ウチダミノル (調査団員) |
大木史朗 オオキシロウ (調査団員) |
吉永慶 ヨシナガケイ (気象庁技官) |
宮島誠 ミヤジママコト (巽丸船長) |
大杉雄二 オオスギユウジ (航海士) |
神山繁 コウヤマシゲル (吉村運行部長) |
高橋昌也 タカハシマサヤ (山城教授) |
近藤準 (大泉教授) |
竹内均 タケウチヒトシ (竹内教授) |
石井宏明 イシイヒロアキ (科学技術庁技官) |
今井和雄 イマイカズオ (総理府係官) |
早川雄三 ハヤカワユウゾウ (防衛庁統幕議長) |
中條静夫 チュウジョウシズオ (本部委員) |
名古屋章 ナゴヤアキラ (DI公安係) |
斉藤美和 サイトウミワ (総理夫人) |
新田昌玄 ニッタショウゲン (小野寺の兄) |
大久保正信 オオクボマサノブ (老人) |
アンドリュー・ヒューズ (オーストラリア首相) |
ロジャー・ウッド (オーストラリア高官) |
大類正照 (TV司会者) |
解説 |
日本海溝の異変から日本列島が沈没すると予測した博士を中心に、日本民族救出のためのプロジェクト・チームが秘密裡に結成され、活動する様を、列島が大異変をくり返しながら沈没するまでを描く。脚本は「現代任侠史」の橋本忍、監督は「放課後」の森谷司郎、撮影は「日本侠花伝」の村井博と、木村大作がそれぞれ担当。 |
日本沈没
原題: | SINKING OF JAPAN |
製作国: | 日本 |
製作年: | 2006 |
配給: | 東宝 |
スタッフ | |
監督: | 樋口真嗣 ヒグチシンジ |
プロデューサー: | 中沢敏明 ナカザワトシアキ |
原作: | 小松左京 コマツサキョウ |
ライン・プロデューサー: | 吉田浩二 ヨシダコウジ |
脚本: | 加藤正人 カトウマサト |
VFXプロデューサー: | 大屋哲男 |
佐藤敦紀 サトウ | |
田中貴志 タナカタカシ | |
道木伸隆 ミチキノブタカ | |
特撮助監督: | 神谷誠 カミヤマコト |
音楽: | 岩代太郎 イワシロタロウ |
主題曲: | SunMin thanX Kubota ソンミン・サンクス・クボタ |
美術: | 原田恭明 ハラダヤスアキ |
編集: | 奥田浩史 オクダ |
録音: | 中村淳 ナカムラジュン |
スクリプター: | 河島順子 カワシマジュンコ |
EP: | 濱名一哉 |
キャスティング: | 富田敏家 トミタトシイエ |
その他: | 近藤邦勝 コンドウクニカツ |
尾上克郎 オノウエカツロウ | |
都築正文 | |
梶川信幸 カジカワノブユキ | |
助監督: | 足立公良 アダチ |
照明: | 中野創平 ナカノソウヘイ |
キャスト(役名) |
草■剛 ※■は(弓+前+刀) クサナギツヨシ (小野寺俊夫) |
柴咲コウ シバサキコウ (阿部玲子) |
及川光博 オイカワミツヒロ (結城慎司) |
福田麻由子 フクダマユコ (倉木美咲) |
吉田日出子 ヨシダヒデコ (田野倉珠江) |
柄本明 エモトアキラ (福原教授) |
國村隼 クニムラジュン (野崎亨介) |
石坂浩二 イシザカコウジ (山本尚之) |
豊川悦司 トヨカワエツシ (田所雄介) |
大地真央 ダイチマオ (鷹森沙織) |
解説 |
空前のベストセラーとなり、映画版も大ヒットした小松左京の近未来パニックSFを33年ぶりにリメイク。最新CG映像が駆使された本作は、特技監督として「平成ガメラ」シリーズなどに関わり、「ローレライ」で監督デビューを果たした樋口真嗣が手掛けた。主演は、「黄泉がえり」の草なぎ剛と「県庁の星」の柴咲コウ。 |
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
相次ぐ自然災害が、日本列島を襲う。その原因を探るために潜水艇『わだつみ6500』の操縦士である小野寺俊夫(草なぎ剛)は、地球科学博士・田所(豊川悦司)の指揮のもと、同僚の結城(及川光博)と深海調査に向かった。そこで判明したのは、バクテリアの発生によって海底プレートが急速に沈降しているという衝撃的な事実だった。あらゆるデータをもとに試算を繰り返す田所は、日本列島が1年後には沈没するという驚愕の結論を得た。その危機を訴える田所だが、エキセントリックな彼の言動は学会でも一笑に付された。しかし、内閣総理大臣の山本尚之(石坂浩二)は田所の学説を受けとめて、閣僚内に危機管理担当大臣を置く。その任命を受けた鷹森沙織(大地真央)は、かつての田所の妻だった。そんな中、地震災害の被害者救出に向かった小野寺は、ハイパーレスキュー隊員の阿部玲子(柴咲コウ)と出会う。二人の努力によって、倉木美咲(福田麻由子)は一命を取り留めるが、彼女は震災孤児となった。阪神大震災で家族を失った玲子は、美咲を引き取ることを決意する。そんな玲子に、小野寺はいつしか惹かれていく。一方、きたるべき有事に備えて、日本の避難民を海外に受け入れてもらう要請に向かった山本総理が乗る飛行機も、突如噴火した火山の溶岩に飲み込まれてしまう。続々と日本全土を襲う自然災害の波。鷹森大臣は非常事態宣言を発令するが、北海道を皮切りに九州から内陸へと災害は拡大し、逃げ惑う人々は退路を失って犠牲者は増大した。このまま日本は滅亡するのか? しかし、唯一の回避する方法が見つかる。それは、海底プレートの異変ににショックを与えて断裂すれば、地殻の変動は食い止められるというのだ。小野田は、愛する玲子たちを守るため決断する。爆薬を仕込んだ潜水艇を操縦し、ひとり深海へと潜っていく小野田。彼の貴重な命との引き換えに、日本列島は沈没の危機を回避することできた。 |
日本沈没
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 14:41 UTC 版)
『日本沈没』(にっぽんちんぼつ[1]、にほんちんぼつ[2][3])は、1973年(昭和48年)に刊行された小松左京による日本のSF小説。
注釈
- ^ 悲観的な未来予測をおこなったローマクラブの「成長の限界」が、前年の1972年に発表されている。なお、小松は日本万国博覧会においてテーマ館サブプロデューサーを務めていた。
- ^ 上田誠也(当時東京大学教授、地球物理学)は、『中央公論』1973年7月号に掲載された小松左京との対談において、「あれならうちのマスター論文ぐらいにはなるかな、なんて思っておったんですがね」と発言している[11]。
- ^ 作中では「日本海溝」とされているが、正確には伊豆・小笠原海溝である。
- ^ 原作発表当時の表現。2011年以降は「死火山でなければすべて活火山」と解釈されている。
- ^ a b 原作本編でも、最後の大爆発後に日本列島の完全消滅を確認する記述は不詳にされている。『日本沈没 第二部』によれば、北陸地方の白山の一部と見られる部分(白山岩)が岩礁化して海面上から露出しており、日本政府はこれを根拠に旧日本列島海域における日本の国家主権の存続を主張している。
- ^ 1970年代初め、伊丹空港に代わる「関西新空港」の立地については神戸沖・泉州沖を含めて複数の候補があり、泉州沖とする答申が出されたのは本書刊行と同じ1973年であった。
- ^ 現代ならスーパーコンピュータ(スパコン)とするべき箇所だが、Cray-1の誕生以前で、スパコンという概念がまだない。
- ^ ただし、1974年ドラマ版では「Danger」のDであると説明されている(第4話「海の崩れる時」)。
- ^ 作中に登場する構成国は、タンザニア、アメリカ、ソ連、マルタ、イギリス、ドイツ(本作発表当時は東西に分断されていたが、単に「ドイツ」とのみ記載されている)、フランス、インドネシア、ヨルダン、バングラデシュ、カナダ、オーストラリア。
- ^ 小説中ではフルネームは登場しない。
- ^ 第5章第7節で2か所、野党第3党の党首と経済団体の会長からそれぞれ「緒形」と呼びかけられる場面がある。
- ^ 資料によっては、「144分」[17][13]、「2時間」[14]と記述している。
- ^ 田中は原作の新聞広告を見て、小松に連絡をとったという[5]。田中と小松は以前から交流があり、小松は自身が携わっていた雑誌『S-Fマガジン』で東宝から賞金を出してもらっていたことに対する恩義もあったことを述べている[5]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、田所雄介博士と記述している[17]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、結城達也と記述している[17]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、吉村秀夫と記述している[17]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、幸長信彦助教授と記述している[17]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、隊員と記述している[9]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画全史』ではD1本部委員[31]、書籍『東宝特撮映画大全集』では本部委員の学者と記述している[9]。
- ^ 書籍『東宝特撮映画大全集』では、指揮官と記述している[9]。
- ^ 東宝公式サイト映画資料室では、中田浩一郎と記述している[17]。
- ^ 「円谷以外で初めて」とする書籍[32]もあるが誤り。
- ^ 中野は、東宝特撮がこれまで培ってきた技術がどこまでリアリティに迫れるかという、自身にとって一つの実験であったと述べている[36]。
- ^ スケールは、書籍『東宝特撮映画全史』では「約300分の1」[38]、書籍『東宝特撮映画大全集』では「1200分の1」[32]と記述している。
- ^ 後に田所博士の調査で沈没は1年以内と判明。
- ^ 旧作と原作では渡老人が有識者を招集し、富士山麓にこもらせ日本救済策を練ったシーンが存在したが本作品ではまったく描写されていない。複数の有識者による検討で「何もしない方がいい」という極論も提示されたことは山本首相のセリフによって示されるのみである。
- ^ 原作では震災から約半年後の地盤沈降下で襲った梅雨の集中豪雨による。なお、1974年のテレビドラマ版でも東京での震災と沈没は終盤のシーンに該当するが、その段階で全住民の退避には至っていない。
- ^ 実際には東京消防庁ハイパーレスキューに女性隊員は存在しない。女性職員については、毒劇物などに係る災害活動への従事制限があるためである。
- ^ 1974年のテレビドラマ版第24回で小野寺が似たような状況に陥っているが間一髪で救出されている。
- ^ 1973年のラジオ版では田所教授役で出演していた。
- ^ 写真のみ。写真は映画用に新たに撮り下ろした。
- ^ 劇場パンフレットでクレジットが確認できる。
- ^ a b c 特技監督
- ^ 出港した彼が戻るころ、既に故国は失われた後だという田所のセリフで締め括られた。
- ^ チリ大地震の調査で日本を留守にしているという台詞がある。
- ^ 第2話のみノンクレジット。
- ^ 第1話、第16話はノンクレジット。
- ^ 第13話、第20話はノンクレジット。
- ^ 第20話のみノンクレジット。
- ^ 第16話のみノンクレジット。
- ^ オープニング・クレジットでは「あしたの愛」と表記された。また、第14回のサブタイトルとしても使用された。
- ^ 第5話予告以降(一部を除く)。
- ^ 第9話にクレジットされている。
- ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。
- ^ 日本沈没(1973年版)からの流用。映画では野崎特使。
- ^ 年始の特番の放送2日前(1月1日)には令和6年能登半島地震の本震が発生したが、予定どおり放送された。
- ^ 元は本放送当時に今井科学から発売されていたプラモデルキット。
- ^ 書籍『ゴジラ大全集』では、大映の倒産により実現しなかったと記述している[22]。
- ^ 1998年に松竹では奥山家の解任騒動という内紛が尾を引き、映画製作ができる状態ではなかったとも言われている。
- ^ 後日、篠原から中田首相への報告によって、白山の山頂部分そのままではなく「異変」によって崩落した跡が岩礁化したものであることが判明する。
- ^ 石坂浩二の本名は「武藤兵吉」。
- ^ 下の名前は三島由紀夫が元ネタと思われる。
出典
- ^ “NDL-OPAC 書誌情報”. 国立国会図書館. 2016年9月5日閲覧。
- ^ 小松左京『日本沈没 (下)』小学館文庫、2006年、p.400。奥付で書名に「にほんちんぼつ」のルビ。
- ^ “UCHIDA TV vol.241 【小松左京さんと日本沈没・秘書物語】”. 内田洋行 (2017年2月22日). 2021年10月19日閲覧。(小松左京の事務所であるイオ代表取締役の乙部順子は「にほんちんぼつ」と読んでいる。)
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- ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, pp. 448–449, 「特別対談 東宝特撮映画未来へ! 小松左京 田中友幸」
- ^ 490万部超の大ベストセラー『日本沈没』誕生50年 本誌が公開していた小松左京の「構想メモ」、Smart FLASH、2023年3月16日。
- ^ 『文藝春秋』2023年6月号、79頁。
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 東宝特撮映画大全集 2012, p. 165, 「『日本沈没』作品解説/俳優名鑑」
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- ^ 小松 & 上田 1973, p. 148.
- ^ ゴジラ大百科 1993, p. 147, 構成・文 中村哲「東宝SF/怪獣映画・海外版大研究」
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- ^ ゴジラ大百科 1993, p. 163, 構成・執筆 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 32 『ゴジラ(84)』と東宝パニック路線」
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- ^ 牧野愛博「「日本沈没」訂正しエール 韓国大手紙、震災報道を反省」『朝日新聞』、2011年12月27日。2014年8月25日閲覧。・それを拡大したもの(左が3月11日付、右が12月26日付)
- ^ 「『ハケンの品格2』篠原涼子はなぜ「日本沈没」を叫んだか(2/2)」『週刊ポスト』(小学館)、2020年8月4日。2021年8月21日閲覧。
出典(リンク)
固有名詞の分類
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