日新丸とは? わかりやすく解説

日新丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 17:48 UTC 版)

日新丸(にっしんまる)は、日本の捕鯨母船。歴史上で日新丸と命名された捕鯨母船は3隻あるほか、第一日新丸と第二日新丸(初代・2代)および第三日新丸と林兼商店(後の大洋捕鯨、大洋漁業、マルハ、現:マルハニチロ)や日本共同捕鯨の持ち船として同名船が多数存在し、「日本の捕鯨の象徴」と呼ばれている[1]


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  55. ^ “捕鯨新母船建造へ 60億円、24年操業―共同船舶”. 時事通信社. (2021年5月10日). https://web.archive.org/web/20210510125222/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021051000893&g=eco 2021年5月10日閲覧。 
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  57. ^ 共同船舶が下関出張所 捕鯨母船建造円滑化へ”. 読売新聞 (2022年11月15日). 2022年11月21日閲覧。



日新丸 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:36 UTC 版)

「日新丸」の記事における「日新丸 (初代)」の解説

第二日新丸」は川崎造船所1936年昭和11年12月16日起工1937年昭和12年6月9日進水し同年10月6日竣工した先に竣工した姉妹船の日新丸は波浪揺れやすいといった意見があったため、「第二日新丸」では船首楼後部甲板室1層追加船体大型化して揺れ若干改善それに伴い船内配置設備変更された。またデリック能力も日新丸では過大気味であったためか全般的に小さくしている。 竣工後は1937年南氷洋捕鯨から投入され、それから3年間は南氷洋捕鯨従事した国際情勢悪化により1941年昭和16年)度南氷洋捕鯨中止となり、同年12月2日、「第二日新丸」は海軍徴用されて海軍一般徴用船となる。徴用直後から翌1942年昭和17年12月まで南洋方面への輸送任務従事以降昭南ミリ本土の間での油輸送従事する1943年昭和18年4月14日、「第二日新丸」は応急タンカー徳和丸(日東汽船、1,943トン)、同日鶴丸日産汽船、1,946トンと共に147船団編成し護衛受けず六連出港17日1813分、「第二日新丸」は北緯2356東経12419分 / 北緯23.933度 東経124.317度 / 23.933; 124.317の石垣島白保南方50海里海上浮遊機雷触れ大破する。機雷爆発船体3つ分かれ前部後部沈没し、一番大き中央部のみが浮いていた。船団は「第二日進丸」を置き去りにして馬公向かい、「第二日進丸」は漂流する18日6時救援のため第36号哨戒艇会合し警戒を受ける。同日17時15分、駆逐艦早苗来着し、第36号哨戒艇早苗に「第二日進丸」の警戒任せ、第252船団護衛のため離脱22日0600、北緯2325東経12239分 / 北緯23.417度 東経122.650度 / 23.417; 122.650の地点第39号哨戒艇来着し、早苗から「第二日進丸」の警戒任務引き継ぎ早苗基隆向かった23日朝、北緯2348東経12242分 / 北緯23.800度 東経122.700度 / 23.800; 122.700の与那国島南方沖で、2隻は米潜シーウルフ(USS Seawolf, SS-197)に発見されるシーウルフ第39号哨戒艇雷撃し、同艦は被雷沈没したシーウルフ最後に残った魚雷を「第二日新丸」に向けて発射し命中はしたもの不発だった。同日基隆から早苗来着第39号哨戒艇生存者救助と「第二日新丸」の警戒を行う。24日18時、駆逐艦帆風来着し、早苗任務引き継ぎ高雄向かった25日8時、救難船兼曳船立神到着し、「第二日新丸」は同艦に曳航される。25日高潮の際に立神翔鳳丸の2隻で浅瀬座礁させられるその後離礁され、28日立神曳航されて基隆到着11月30日廃船となった触雷船員41戦死

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日新丸 (2代)

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「日新丸」の記事における「日新丸 (2代)」の解説

1951年昭和26年9月30日川崎造船所にて竣工竣工同時にSCAJAPによりSCAJAP-N132の管理番号与えられた。 1971年昭和46年)に鯨油タンカー改造1973年昭和48年4月中華人民共和国の企業売却以降消息不明だが、1981年昭和56年時点では現役だった。

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日新丸 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 03:36 UTC 版)

「日新丸」の記事における「日新丸 (3代)」の解説

元々は日本水産アメリカ合衆国からの商業捕鯨撤退交換条件として出され遠洋漁業使用するために日立造船因島工場建造され1987年昭和62年12月竣工したトロール船筑前丸。しかしアメリカはパックウッド・マグナソン法を制定し代替遠洋漁業認可さえも取り消したため、行き場失っていた。そこで、第三日新丸代替として日立造船因島工場捕鯨母船改造し、日新丸に改名したこれまでの捕鯨母船比べるとかなり小型である。1987年昭和62年)から2019年令和元年)まで、毎年日本鯨類研究所傭船され、調査捕鯨調査母船として運用された。2019年7月日本商業捕鯨再開以降は、沖合水域での母船捕鯨母船として運用されている。 船主日本水産のままだったが、2005年平成17年)に共同船舶売却された。

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