日出市とは? わかりやすく解説

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日出市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 06:11 UTC 版)

日出市(ひのでし)は、徳島県板野郡堀江町松茂村北島町応神村板東町合併によって誕生する計画があった新しいの名称である。1958年(昭和33年)、地方自治法改正を契機に合併構想が浮上し、市名のほか市役所の場所まで決定していたものの、議会が合併を承認せず、実現しないままに終わった。


  1. ^ 『徳島市史』は応神村・北島町・川内村住吉村藍園村の5町村合併交渉が行われていた際、4村側が出した市名が「日の出市」だったとしている[7]
  2. ^ この報道では5町村合併なら人口35600人、4町村でも31000人で市制施行が可能と呼びかけていることになっているが、誰が呼びかけているのかは不明である[28]。後の報道では5町村揃わないと3万人に達せず、それが県が5町村合併を推進する理由であるかのように書かれている[29]。また市名決定時の報道では新市の人口は38873人(昭和30年の国勢調査で35622人)とあるが、最初の数字がいつの時点のものかは明示されていない。[30]四国放送の情報番組『おはようとくしま』では「3万6000人あまり」としている[31]
  3. ^ 吉野川市の名称は2004年に鴨島町・川島町・山川町・美郷村が合併した際の市名として用いられた。なお鴨島町と川島町の合併は日出市と同時期にも検討されていたが[28]、日出市同様このときは実現していない。
  4. ^ 昭和32年12月議会にて副議長に当選[61]
  5. ^ ただし当時は民間航空機の利用はまだ始まっていない。
  1. ^ 「町村合併促進へ 県、審議会条例を提案」『徳島新聞』昭和28年9月18日付朝刊1面。
  2. ^ 「町村合併促進に50万円計上 東郷部長帰縣談」『徳島新聞』昭和28年9月20日付朝刊8面。
  3. ^ 「廿一日具体策協議 下板六ゕ町村合併」『徳島新聞』昭和30年2月11日付朝刊4面。
  4. ^ 「四月発足を目標 下板六ヵ町村合併進む」『朝日新聞』昭和30年2月27日付大阪本社朝刊8面(徳島)。
  5. ^ 「德島市と合併決議 来月一日を目標 川内村あす申入れ」『徳島新聞』昭和30年3月2日付朝刊1面。
  6. ^ 「下板六ゕ町村合併 協議會ついに解散」『徳島新聞』昭和30年3月8日付朝刊4面。
  7. ^ a b 『徳島市史』第1巻、235ページ。
  8. ^ 「生れる新中島町 住吉など三村併せて」『徳島新聞』昭和30年3月25日付朝刊1面。
  9. ^ 「町名は「中島」 住吉など三村の合併」『朝日新聞』昭和30年3月26日付大阪本社朝刊8面(徳島)。
  10. ^ 「〝中島町〟お流れ 新庁舎問題でついに決裂」『徳島新聞』昭和30年3月27日付朝刊5面。
  11. ^ 「〝合併推進に反対〟 北島 民意無視と町民大会」『徳島新聞』昭和30年4月17日付朝刊6面。
  12. ^ 「堀江、鳴門市と合併 月末発足」『徳島新聞』昭和30年3月13日付朝刊4面。
  13. ^ 「合併本決り 鳴門市と堀江町」『朝日新聞』昭和30年3月14日付大阪本社朝刊8面(徳島)。
  14. ^ 「両派、緊張の一票 堀江、合併の住民投票」『徳島新聞』昭和30年3月24日付夕刊2面。
  15. ^ 「反対が圧倒的 堀江、鳴門の合併投票」『徳島新聞』昭和30年3月25日付朝刊1面。
  16. ^ 「〝鳴門と合併〟お流れ 堀江町の住民投票 断然多い反対票」『朝日新聞』昭和30年3月26日付大阪本社朝刊8面(徳島)。
  17. ^ 「暑中お見舞⑭ 願いは下板市制の捨石 再選堀江町長 橋野達雄氏(60) (板野郡堀江町姫田)」『徳島新聞』昭和33年8月15日付朝刊8面。
  18. ^ 『鳴門市史 現代編1』44ページ。
  19. ^ 「今年初の合併勧告 あす下板五町村に」『徳島新聞』昭和32年1月4日付夕刊1面。
  20. ^ 「〝合併要請〟に留まる 審議会、下板五町村と協議」『徳島新聞』昭和32年1月6日付朝刊1面。
  21. ^ 『松茂町誌』中巻、518-519ページ。
  22. ^ 「合併勧吿を受ける二地区 三好市制 辻、三好も步寄り 残る三庄の動きがカギ 下板 足並みそろわず うまく行って三、四町村」『徳島新聞』昭和32年3月5日付朝刊8面。
  23. ^ 「三町村か四町村で 北島の合併 再び町民に問う」『徳島新聞』昭和32年3月12日付朝刊8面。
  24. ^ 「応神、勧告にソッポ 下板五町村合併お流れ」『徳島新聞』昭和32年3月13日付朝刊8面。
  25. ^ 「自力の再建計画を 県が赤字市町村へ通達」『徳島新聞』昭和32年1月10日付朝刊1面。
  26. ^ 『官報』号外第22号、1958年4月5日、7ページ。
  27. ^ 「(33)地方自治法の一部を改正する法律に施行について通達」『自治研究』第34巻第6号、第一法規、1958年6月、123ページ。
  28. ^ a b c 「県下に盛上る市制ブーム 乗出す鴨島・川島 県、三好や下板も後押し うまく運べば秋には7市39町村に」『徳島新聞』昭和33年5月10日付朝刊7面。
  29. ^ a b 「県 三好、下板 市制に全力 カギ握る松茂・應神 相つぎ協議会と公聽会」『徳島新聞』昭和33年7月8日付朝刊8面。
  30. ^ a b 「新市名を「日出」と決定 合併の下板五ゕ町村 三木長官が名付け親 五ゕ町村協議会 原知事の発表を了承」『徳島新聞』昭和33年9月26日付夕刊1面。
  31. ^ 徳島の20世紀 市町村合併
  32. ^ 「県が市制を勧告 下板五町村の合併 七月までに結論」『徳島新聞』昭和33年5月27日付朝刊8面。
  33. ^ 「三地区 市制へ拍車 下板は来月に目鼻 鴨島・川島 今月中に協議会」『徳島新聞』昭和33年6月5日付朝刊8面。
  34. ^ 「名前は〝下板市〟 五町村合併 県行政係長が説得」『徳島新聞』昭和33年6月11日付朝刊8面。
  35. ^ 「町村合併 県、九月末でケリ 三好郡を手始めに きょうから大詰の協議」『徳島新聞』昭和33年7月3日付朝刊8面。
  36. ^ 「住民の大半が賛成 下板五町村合併 応神村古川で公聴会」『徳島新聞』昭和33年7月14日付朝刊8面。
  37. ^ 「応神は七割が賛成 下板市制の公聴会 松茂もきょうから」『徳島新聞』昭和33年7月18日付朝刊8面。
  38. ^ 「組合せは村に委す 下板市制の公聴会 松茂は数日中に結論」『徳島新聞』昭和33年7月21日付朝刊8面。
  39. ^ 「下板市制に見通し 18日、五町村合併協議会」『徳島新聞』昭和33年8月8日付朝刊8面。
  40. ^ 「来月13日 堀江町長選挙」『徳島新聞』昭和33年7月29日付朝刊8面。
  41. ^ 「堀江町長に橋野氏再選 大差で山下氏敗る 封印破損 六時間半もめる」『徳島新聞』昭和33年8月15日付朝刊8面。
  42. ^ 「きょうから合併周知会 板東町「下板市制」へ」『徳島新聞』昭和33年8月13日付朝刊8面。
  43. ^ 「下板五町村合併協議会生る 市名・庁舎など協議 25日北島で初会合」『徳島新聞』昭和33年8月19日付朝刊8面。
  44. ^ a b N「下板市制 きょう初の合併協議会 庁舍は北島・問題は市名」『徳島新聞』昭和33年8月25日付朝刊8面。
  45. ^ 「庁舎位置などきめる 下板五町村 きょう合併協議会」『徳島新聞』昭和33年8月31日付朝刊8面。
  46. ^ 「下板市制 来年四月一日発足 庁舎は北島に新築 市名は持越し 第二回協議会で決る」『徳島新聞』昭和33年9月1日付朝刊8面。
  47. ^ 「「末広市」など20数種集まる 堀江町」『徳島新聞』昭和33年9月4日付朝刊8面。
  48. ^ 「「北島市」が圧倒的 北島町議会 新市の名称を協議」『徳島新聞』昭和33年9月4日付朝刊8面。
  49. ^ 「市名 委員会は無期延期 県が決定方法を調整」『徳島新聞』昭和33年9月9日付朝刊8面。
  50. ^ 「残る三町村で調整 下板市名 北島と松茂が対立」『徳島新聞』昭和33年9月13日付朝刊8面。
  51. ^ 「きょう再協議 下板の市名結論出ず」『徳島新聞』昭和33年9月15日付朝刊8面。
  52. ^ 「市名は知事に一任 下板市制 事務処理を急ぐ」『徳島新聞』昭和33年9月18日付朝刊8面。
  53. ^ 「特例市 幕切れの明暗 下板 来春四月に発足 日出 三木代議士鶴の一声」『徳島新聞』昭和33年9月27日付朝刊8面。
  54. ^ 「下板もきょう議決 課税方式 小委員会に付託」『徳島新聞』昭和33年9月29日付朝刊8面。
  55. ^ 「合併議決、あすに 下板五ゕ町村 課税方法で一致せず」『徳島新聞』昭和33年9月29日付夕刊1面。
  56. ^ 「下板五町村の議決 きょうに持越し」『徳島新聞』昭和33年9月30日付朝刊8面。
  57. ^ 「県が合併を説得 ごたつく下板五ゕ町村」『徳島新聞』昭和33年9月30日付夕刊1面。
  58. ^ 「合併の話合いつく 下板五町村 県の説得を了承」『徳島新聞』昭和33年10月1日付朝刊1面。
  59. ^ 「実現遅れる〝二つの合併〟 暫く冷却期間 下板五町村 三好三町村 自治庁説得にカギ」『徳島新聞』昭和33年10月1日付朝刊1面。
  60. ^ 「合併議決を早く 待ちかねる県 北島町を説得」『徳島新聞』昭和33年10月10日付朝刊8面。
  61. ^ 徳島県議会事務局(編纂)『徳島県議会史』第二巻、徳島県議会、1973年、522ページ。
  62. ^ 「下板・三好地区に改めて合併指導 県、来週から説得に乗出す」『徳島新聞』昭和33年10月11日付夕刊1面。
  63. ^ 「冷却期間がほしい 北島、県の説得に答える」『徳島新聞』昭和33年10月14日付朝刊8面。
  64. ^ 「県、近く北島で周知会開く 下板五ゕ町村合併問題」『徳島新聞』昭和33年10月18日付朝刊1面。
  65. ^ 「あすから北島町で周知会 五町村合併を説明」『徳島新聞』昭和33年10月21日付朝刊8面。
  66. ^ 「現れぬ町長・議員 第一回合併懇談会 北島町は気乗り薄」『徳島新聞』昭和33年10月21日付朝刊8面。
  67. ^ 「大勢は合併に反対 北島町 難航する県の説得」『徳島新聞』昭和33年10月25日付朝刊1面。
  68. ^ 長「合併の行手をはばむもの 実を結ばぬ知事勧吿 くすぶる市長争い ダダッ子の北島町」『徳島新聞』昭和33年11月10日付朝刊8面。
  69. ^ 「きょう北島町に要請 米田県副議長 下板五町村合併の推進」『徳島新聞』昭和33年11月12日付朝刊1面。
  70. ^ 「きょう工場に賴む 合併反対の北島町説得役」『徳島新聞』昭和33年11月29日付朝刊8面。
  71. ^ 「北島へ合併要望書 三工場が連名で」『徳島新聞』昭和33年11月30日付朝刊8面。
  72. ^ 「北島に最後の要請 下板の合併 県、きょう議員全員に」『徳島新聞』昭和33年12月1日付朝刊8面。
  73. ^ 「大詰迎えた県の合併指導 結論は中旬ごろ 下板 三好郡と佐那河内 きょうから説得」『徳島新聞』昭和33年12月3日付朝刊8面。
  74. ^ 「五町村合併見送り 北島町議会の態度決る」『徳島新聞』昭和33年12月7日付朝刊8面。
  75. ^ N「どうなる? 下板五町村合併 県、北島の説得捨てず 他町村もさらに譲步か」『徳島新聞』昭和33年12月8日付朝刊8面。
  76. ^ 「下板五町村の合併ご破算 米田副議長、投げる 県、改めて組合せ検討」『徳島新聞』昭和33年12月14日付朝刊8面。
  77. ^ 「合併協議会ついに解散 下板五町村 四ゕ月の努力もムダ」『徳島新聞』昭和33年12月16日付朝刊8面。
  78. ^ 「北島町議会 五町村合併を否決」『徳島新聞』昭和33年12月20日付朝刊8面。
  79. ^ 「デラックス体育館ブーム 下板 応神中学が刺激 完成急ぐ北島・松茂」『徳島新聞』昭和33年12月17日付朝刊8面。
  80. ^ 「背負い込んだ2億3000万円 下板五ゕ町村 無理した建設事業 合併お流れ? 借金返済に悩む」『徳島新聞』昭和33年11月18日付朝刊8面。
  81. ^ 「きょうから歴訪 下板五町村の合併 県、組合せを変える」『徳島新聞』昭和33年12月17日付朝刊8面。
  82. ^ 「「合併はしたい」 下板五町村 県の歴訪に答える」『徳島新聞』昭和33年12月18日付朝刊8面。
  83. ^ 「松茂・堀江・板東 下板三町村と合併 議員30人に減らす 鳴門市議会できまる」『徳島新聞』昭和33年12月18日付朝刊8面。
  84. ^ 「下板三町村を訪問 鳴門市が合併勧誘 徳島市よりお先に」『徳島新聞』昭和33年12月27日付朝刊8面。
  85. ^ 「合併を話合いたい 板野四町村へ 徳島市長があいさつ」『徳島新聞』昭和33年12月25日付朝刊8面。
  86. ^ 「ねらわれる下板五町村 持参金つきに魅力 徳島・鳴門両市 新春早々抱込み合戦」『徳島新聞』昭和33年12月29日付朝刊8面。
  87. ^ 『松茂町誌』中巻、521ページ。
  88. ^ 『北島町史』1068ページ。
  89. ^ 『鳴門市史 現代編1』47-48ページ。
  90. ^ 藤代裕之「雑記帳 板野郡7町の合併問題 枠組み超えた議論を」『徳島新聞』2000年11月22日付朝刊21面。


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