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旅芸人の記録

原題:O Thiassos
製作国:ギリシャ
製作年:1975
配給:フランス映画社
スタッフ
監督:Theo Angelopoulos テオ・アンゲロプロス
製作:Georges Papalios ヨルゴス・パパリオス
脚本:Theo Angelopoulos テオ・アンゲロプロス
撮影:Georges Arvanitis ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:LouKianos Kilaidonis ルキアノス・キライドニス
美術:Georges Patsas ヨルゴス・パッツァス
編集:Takis Davlopoulos タキス・ダヴロプロス

Giorgos Triandafyllou ヨルゴス・トリアンダフィルー
字幕監修:池澤夏樹 イケザワナツキ

柴田駿 シバタシュン
キャスト(役名
Eva Kotamanidou エヴァ・コタマニドゥ (Elektra
Petros Zarkadis ペトロス・ザルカディス (Orestes
Stratos Pachis ストラトス・パキス (Agamemnon
Aliki Georgouli アリキ・ヨルグリ (Clytaemnestra)
Maria Vassiliou マリア・ヴァシリウ (Chrissothemis)
George Koutiris ヨルゴス・クティリス (Chrissothemis'son
Kiriakos Katrivanos キリアコス・カトリヴァノス (Pilades)
Grigoris Evanghelathos グリゴリス・エヴァンゲラトス (Poet
AleKos Boubis アレコス・ブビス (Old man
Nina Papazaphiropoulou ニナ・パパザフィロプル (Old woman
Yannis Firios ヤニス・フィリオス (Accordionist)
Vanghelis Kazan ヴァンゲリス・カザン (Aegisthus
解説
1939年から1952年までの14年間のギリシャ圧制占領反乱歴史背景に、全土巡業する、ある旅芸人一座波乱満ち生きざまを描く。製作はヨルゴス・パパリオス監督脚本テオ・アンゲロプロス撮影ヨルゴス・アルヴァニティス音楽ルキアノス・キライドニス編集タキス・ダヴロプロスヨルゴス・トリアンダフィルー美術ヨルゴス・パッツァス各々担当出演エヴァ・コタマニドゥペトロス・ザルカディスストラトス・パキスアリキ・ヨルグリマリア・ヴァシリウ、・ヨルゴス・クティリスキリアコス・カトリヴァノスグリゴリス・エヴァンゲラトスアレコス・ブビスニナ・パパザフィロプルヤニス・フィリオスヴァンゲリス・カザンなど。
ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください
1952年の秋、ギリシャ南部ペロポネソス半島北端の町エギオンに、疲れはてた12前後旅芸人一座がおりたった。町は大統領選挙数日後にひかえており、選挙カーが慌ただしく通りすぎる。“パパゴス元帥投票せよ!”。同じエギオンの町、1939年晩秋11人の旅芸人一座座長アガメムノンストラトス・パキス)、母クリュタイムネストラアリキ・ヨルグリ)、長女エレクトラエヴァ・コタマニドゥ)、次女のクリュソテミ(マリア・ヴァシリウ)とその幼い子供の5人の一家に、先頭をゆくピュラデス(キリアコス・カトリヴァノス)、詩人呼ばれる青年グリゴリス・エヴァンゲラトス)、老男優(アレコス・ブビス)、アコーデオン奏きの老人ヤニス・フィリオス)、アイギストスヴァンゲリス・カザン)らだ。一行のそばを通りすぎていく男が明日午後ドイツ第3帝国情報ゲッベルス閣下が、オリンポス見物途次、エギオンを通過すると告げた。公演場所の講堂憩う一座。表の広場では極右ファランギの青年兵士たちが“父よ世界はなぜかくも美しい”を歌い、ピュラデスは“おまえはいつか悔いて戻ってくる”を歌う。一座出しものは「ロミオとジュリエット」風の恋愛を描く「羊飼い少女ゴルフォ」。エレクトラがゴルフォ役を母から受けつぎ、弟オレステスペトロス・ザルカディス)が恋人タソス役を父から受けついだが、兵役にとられた彼に代ってピュラデスがタソスやることになった。その夜エレクトラは、母クリュタイムネストラアイギストス密通目撃してうちひしがれる夜明け思いがけず特別休暇をとって帰ってきたオレステス舞台役名挨拶を交わす姉弟。しかし、舞台の幕があくと、秘密警察の男たちが来て、ピュラデスが捕えられたため、公演中断した。 1940年10月28日一座降りたった駅では、町の人々が行進して歌を歌い、民家にはギリシャ国旗が翻っていた。が、まもなく空襲はじまり、アガメムノン補充兵として去り、母の室にはアイギストスが入ってきた。41年正月頃、街なかでファランギの下士官暴行されそうになったエレクトラが危いところを逃げ去った。その年の4月ギリシャ全土独軍占領された。42年初冬英国送りこんだ救援軍兵士とギリシャゲリラ兵を追及する占領独軍旅芸人たちの宿舎を襲い、アイギストス密告で、オレステスゲリラに加わっている事がわかり、代りアガメムノン銃殺された。座長になったアイギストスに皆は黙ってついていく老男優だけが出ていった。1943年頃、独軍占領がながびく中、ある日エレクトラは、脱獄成功してゲリラになっていたピュラデスに再会。彼はオレステス合流するところだった。一座バスで旅を続けていた時、他の市民一緒に独軍に捕まり全員射殺されそうになる。が、その時襲撃してきたゲリラ軍によって助かった。こうして、独軍勢力衰退し、 44年の秋独軍は徹退した。国民統一政府成立を祝して、人民歌で行進する国民解放戦線長い行進が続く。45年正月一座山岳地帯での巡業に入ったある日、エレクトラは、オレステス、ピュラデス、詩人再会劇場に戻った。オレステスは、舞台上で母とアイギストス射殺した。その夜、母のレコードを聞いて思いにふけるエレクトラが、仮面をつけた秘密警察の男たちに強姦された。45年12月に結ばれたヴァルキザ協定により、ゲリラ新政府に協力することを余儀なくされ、山にこもり続けゲリラ重犯罪人とみなされた。49年の春、英軍ジープが、ゲリラの首をさらしてをゆく。そのあとにつづく捕えられた最後ゲリラたちの中にオレステスがいる。 50年反共宣誓書サインして釈放されたピュラデスに再会するエレクトラ。その年の暮再会した詩人は、なかば廃人となっていた。51年エレクトラは、ようやくオレステス面会するが、それはすでに処刑された彼の死体との面会だった。オレステス葬式で、遺骸が土にうずめられようとする時、思わずエレクトラ拍手を送った。そして、それに合わせて拍手に送る一座人々詩人無言で空をあおいだ。52年晩秋夕べその夜は、クリュソテミの息子ヨルゴス・クティリス)の初舞台で、彼はタソス役を演じる。メーキャップをなおしてやるエレクトラは思わず咳いた。“オレステス!”。そして「羊飼い少女ゴルフォ」の幕がやがてあいた。


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旅芸人の記録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/10/11 04:18 UTC 版)

旅芸人の記録: O Θίασος翻字 O Thiassos)は、テオ・アンゲロプロス監督のギリシャ映画。




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