新潟放送とは?

新潟放送

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/16 16:30 UTC 版)

株式会社 新潟放送(にいがたほうそう、Broadcasting System of NIigata Inc. 略称 BSN)は、新潟県放送対象地域とするラテ兼営特定地上基幹放送事業者である。




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  1. ^ この画像では見えないが両鉄塔間にはダイポールアンテナが渡されている。
  2. ^ 有報リーダー”. Lafla. 2017年6月19日閲覧。
  3. ^ 日本民間放送連盟 『日本放送年鑑'78』 洋文社、1978年12月、183頁。
  4. ^ 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑'92』 コーケン出版、1992年11月、263頁。
  5. ^ 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2003』 コーケン出版、2003年11月、284頁。
  6. ^ 日本民間放送連盟 『日本民間放送年鑑2015』 コーケン出版、2015年11月20日、303-304頁。
  7. ^ 大和新潟店7階の演奏所が完成からわずか三年足らずで焼失する。しかし、引火する寸前まで大和屋上から火災の実況生中継を行い、実況スタッフが避難した直後より網川原送信所から行った臨時放送と合わせ、各方面から高く評価された。この日から新社屋が機能するまでの約8ヶ月間、送信所内の仮設アナブースからの番組と県内各所からの公開番組で放送をカバーする。
  8. ^ 二年参りで混雑する弥彦神社で深夜0時過ぎ、参拝客が将棋倒しになり死傷者201人の大惨事が発生。ラジオ新潟の社員二人が現場に居合わせたため早期取材体制に入る。放送開始時間を30分繰り上げ4時30分から放送開始。この日に予定していた正月特番を急遽報道番組に変更する。
  9. ^ 当時のラジオ東京テレビ(KRT、現在のTBSテレビ)等で放送された当番組が第13回芸術祭大賞を受賞したため、ビデオテープで収録していた本放送をこの日に全国にマイクロネットで記念再放送したもの。当時の提供は、三洋電機であった。同番組は現在、TBSのテレビ番組における最古の番組資料でもあり、またビデオテープでもある。
  10. ^ 1960年11月29日に、ラジオ東京がTBS(東京放送)に社名を変更した流れを受けたものであるといわれている。また、この頃より旧ロゴ(1992年まで用いられたもの)の使用を開始した。
  11. ^ 小林百貨店(現在の新潟三越)1階のウィンドウ内(現在の正面玄関位置)にスタジオ、調整卓を設置
  12. ^ 尚、番組編成上、同局のカラー放送開始は翌々日の10月3日となった。
  13. ^ 同局のカラー放送第1弾は、日本テレビからのネットで、米映画ドラマ「カート・ライト兄弟」だった(同日20時からの55分番組)。同局のカラー放送開始当初、レギュラーのカラー番組は同番組の他に、日本テレビの「私のクイズ」、TBSのカラーアニメ「トムとジェリー」の計3番組だけだった。
  14. ^ 同局のテレビでも、同大会をカラーまたは白黒で連日放送した(時間不定期)。
  15. ^ 初めはテストケースで行われた。番組内容は記録映画「若人の祭典」だった。
  16. ^ 後に音声多重化等の改造工事等も行ったが、新館局舎移転になる前日の1987年4月5日まで使用された
  17. ^ 同年の4月からNHKがカラー契約を開始したことや、同局の「テレビスポットコンクール」の開始が同日だったこと、更に同年の11月29日新潟総合テレビがサービス放送を開始したこと(同局の開局は翌月の16日)が影響している。
  18. ^ 同中継車の初運用は、同年9月20日放送の「中央競馬中継」(新潟競馬場からの生放送)だった。
  19. ^ カラー化に伴いテレビスタジオには、東芝製カラープランビコンカメラ3台が配置される。
  20. ^ ただし、番組の前半部分は「ミュージックポスト」放送開始以降、新潟放送局周辺以外の地域(上越・中越地方)でも放送していた。
  21. ^ 但し、朝日放送の一部の番組(新潟総合テレビの番組枠の都合で放送できない番組、一部の一本買いの番組等)は、1983年9月30日新潟テレビ21開局前日まで放送された。
  22. ^ この公開生放送の中の「少年少女合唱隊」のコーナーにて、ドリフターズの新メンバーである志村けんが、彼の出世作となった「東村山音頭」(リメイク版)を初披露した。詳しくは、彼の項目を参照のこと。
  23. ^ JODO上越放送局の1530kHzは、9kHzごとの所定の周波数であったため、変更する必要がなかった。
  24. ^ JODR新潟局:1120kHz→1116kHz、JODE長岡局:1060kHz→1062kHz、塩沢中継局:1560kHz→1485kHzにそれぞれ変更された。
  25. ^ ちなみに初めの同放送は、朝6時57分の「天気予報」のステレオ放送で、同日放送開始前のテストパターンの音楽もステレオ放送だった。
  26. ^ 16時からの55分番組。ステレオ放送だったものの、同日の新聞のテレビ番組欄には同番組のステレオ番組の表記がなかった。
  27. ^ その後は、ENGを使ったビデオ取材に一本化される。
  28. ^ この時は、番組の演出上、シンガーソングライターの泰葉がピアノを弾きながら歌っている最中(楽曲は「水色のワンピース」)に切り替えられた。また、この変更の瞬間を収録したテープを送ってプレゼントを当てる懸賞キャンペーンも行われた。
  29. ^ 第1ラジオスタジオ内の吸音素材にはラジオスタジオでは日本初、特殊セラミックパネルを壁一面(副調整室のある壁面のみ張られていない)に張る工法を採用し、完成後は多くの放送、音響に関わる関係者が見学に訪れた。またこの頃は、セラミックパネルの効果を活かした生演奏企画が番組内で多く行われた。
  30. ^ スタジオには、東芝製カラーCCDカメラが三台導入される。音声はステレオ対応。このスタジオ運用開始に伴い、ローカル番組「土曜はヨイショ!!」がステレオ放送になる。
  31. ^ ローカル番組でも、「土曜はヨイショ!!」等のテレビスタジオの番組にて同放送が行われた。
  32. ^ JNNでは、TBSMBSに次いで3局目であった。
  33. ^ 導入された際の模様がKowaのウェブサイトに掲載されている。http://www.kowa.co.jp/bic/import/pdf/vol_07.pdf
  34. ^ 同放送が、後に開始される地上波デジタルテレビ放送におけるデータ放送に変わることによる処置である。
  35. ^ この日は新潟県を含む全国のNHKの地方局13局と、全国の地方民放40局が同時に予備免許を取得した。インプレス社AV Watch 2005年6月9日付記事
  36. ^ 総務省信越総合通信局報道資料 平成18年3月23日付
  37. ^ スタジオカメラはテレビ放送開始以来東芝製であったが、ハイビジョン放送の開始に伴い初めてソニー製(品番:HDC-900)になる。
  38. ^ 原因は本社内に設置してある電源装置の点検の際、関連会社の作業員が誤った操作をしたために放送用電源が供給されなくなったことによるもの。
  39. ^ 報道取材に於けるハイビジョン取材の開始は、JNN系列では最も遅い方だった。
  40. ^ a b 局の経済的事情により4時を起点とする23時間放送となる。番組表では、午前3時から4時のフィラーの時間は「深夜音楽」という番組タイトルになっているが、毎日同じクラシック音楽J.S.バッハ作曲 ブランデンブルク協奏曲第4 - 6番)と途中2回(同曲第5・6番の冒頭後直ぐ)IDが読まれるだけである。この処置に伴い、以前同時間帯でTBSラジオからネットしていた「JUNK ZERO」と「MIXUP」の2番組が打ち切りとなる。同日時点で信越放送(SBC)でも同じ処置が採られていた(SBCのそれはフィラー音楽がなく、停波を伴う休止枠だった)が、2009年秋よりネット受けを再開。現在は全国で唯一ネット受けをしていない。なお、2013年度(同4月6日深夜=4月7日から)は、土曜深夜(日曜未明)の「深夜音楽」の時間が3時-5時に拡大されるため、日曜日付けの実質的な放送は5時開始となる
  41. ^ 自前でのローカルテレビ中継でのハイビジョン化は、県内民放では最も遅かった。いずれも報道等の簡易中継用である。
  42. ^ 但し、スポーツ等の大規模な中継番組は、引き続き自前のSD画質の大型中継車を使って行っている。
  43. ^ 「水戸黄門」等のSD再放送番組については、上下左右に黒帯が出る額縁放送となる
  44. ^ 但し、同番組はテレビ東京系列局及びBSジャパンでは、新潟競馬場からの中継でもハイビジョンとなっている。これは、テレビ東京で独自にハイビジョン中継車及び東京への上りハイビジョン・デジタル回線を手配しており、更に同番組の調整・送出はテレビ東京のスタジオで行っているためである。尚、テレビ東京からBSNまでのネット回線はこの時点ではSDアナログ回線しかないため、BSNでのこの時点での同番組の放送はハイビジョンではなくSDワイド放送となる。
  45. ^ 株式会社新潟放送の災害対策用FM補完中継局に予備免許(報道資料2015年7月15日)(総務省信越総合通信局)
  46. ^ BSNにFM補完中継局の予備免許交付 - BSN会社情報(2015年7月15日)
  47. ^ 株式会社新潟放送の災害対策用FM補完中継局に免許を付与(報道資料2015年10月20日)(総務省信越総合通信局)
  48. ^ a b c BSNラジオ FM補完放送について
  49. ^ 火災の翌々日、秋田放送からもお見舞いの社員二人が送信所を訪れトランク2つ分の各種電気工具コード等を持参し寄贈した。秋田放送技術部長の指示によるもので火災で何もかも亡くしたのだから工具なんかなくて困っているだろうと自社のストック品を提供してくれたため何もなくて困っていた技術系社員は感激したという。
  50. ^ a b ◆予備施設・バックアップ施設を確保している例 - 内閣官房
  51. ^ ネット局で信越放送とともに、11時台を放送しない。
  52. ^ リクエストランキングデータがTBS製作『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎週提供されていた。(1978年-1985年頃まで)
  53. ^ 新潟本局からのみ放送(他の親局では非放送)。
  54. ^ 1985年頃より、『BSNサテライト・ヒットパレード』から『ザ・ベストテン』のラジオ総合ベスト10のBSNのデータとして毎年提供されていた。
  55. ^ 東京ではHD放送だが、回線設備の都合で新潟ではSD放送となる。
  56. ^ 1981年3月までNNSに加盟していたNST当大会は不参加。(他にNNSに加盟しながら当大会に参加しなかった局はTKUKTSである。)
  57. ^ スポンサーのJRAの都合で、日曜日の競馬中継を1999年12月まで放送していた。
  58. ^ NSTの競馬中継が7月の「FNSの日」や10月第2日曜の「F1日本グランプリ」等で放送休止された時に放送。
  59. ^ 2014年3月1日付け新潟日報の新潟放送人事異動記事に掲載
  60. ^ 大倉修吾さん急死 ラジオで追悼コーナー特設「天国でゆっくりして…」 - スポニチアネックス、2016年7月23日配信、2016年10月26日閲覧
  61. ^ a b 2013年1月(日付は不明)の新潟日報の新潟放送の人事異動記事に明記されている。
  62. ^ 2016年10月29日放送のNHK Eテレ『全日本ソフトテニス選手権』の実況担当者として記載あり(週刊ザテレビジョン北海道・青森版2016年11月4日号 p45及び週刊TVガイド北海道版2016年11月4日号 p53で確認、いずれも2016年10月26日閲覧)
  63. ^ 1970年代半ばには既に設置されていた。同カメラは1985年に完成された現在の新潟県庁舎(新潟市中央区新光町)の工事状況の映像をこまめに保存しており、その模様は、2008年12月23日の「発見! 発掘! 新潟とテレビの50年」にて放送された。2005年10月には既にハイビジョン化されており、サイマル試験放送前のデジタルテレビ放送の試験電波でも、このカメラで撮った生の映像がハイビジョンで放送されていたことがある。







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