だん‐ざい【断罪】
断罪(だんざい)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:12 UTC 版)
「死がふたりを分かつまで」の記事における「断罪(だんざい)」の解説
護が常に携帯している仕込み杖。ネットワークの一員である刀鍛冶が護専用に打った日本刀に、同じくネットワークの一員から提供された複数の最先端技術を応用。刃を単分子レベルまで薄くし、更に刀身に低摩擦コーティングを施している。そのため、理論上はあらゆる物体を切断することができる。
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断罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 03:22 UTC 版)
正純は駿府で大八を詰問したが、否認しつづけるばかりで埒があかなかった。また贈賄をしていた晴信にも非があるものの、晴信の嫡男・有馬直純に家康の養女・国姫が嫁いでおり一存では断罪できず、結局裁決は家康に委ねることとなった。家康は駿府町奉行になっていた彦坂光正に調査を命じ、翌慶長17年(1612年)2月、大八を捕縛する。駿河問いによる厳しい拷問により、大八は朱印状の偽造を認めたものの、晴信の「沈めてやる」との失言を引き合いに、「晴信は長崎奉行の藤広の暗殺を謀っている」と主張した。正純は大八を江戸に送り、また晴信も呼び出して3月18日、大久保長安邸で両者を尋問、晴信も藤広への害意を認めてしまった。 慶長17年(1612年)3月21日、大八は朱印状偽造の罪により駿府市街を引き回しのうえ、安倍河原で火刑に処せられた。翌22日、晴信も旧領回復の弄策と長崎奉行殺害企図の罪で甲斐国郡内に流罪を命じられ、晴信の所領である島原藩(日野江)4万石は改易のうえ没収に処された。ただし、家康に近侍していた嫡男・直純は、父と疎遠であることも理由に有馬氏の家督と所領の安堵が認められた。晴信には後に切腹が命じられ、しかしキリシタンであることから自害を拒んで同年5月7日、配所にて家臣に斬首させた。46歳没。一方、藤広には咎めは一切なかった。
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