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斉藤仁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/13 12:37 UTC 版)
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
| 男子 柔道 | ||
| オリンピック | ||
| 金 | 1984 ロサンゼルス | 95kg超級 |
| 金 | 1988 ソウル | 95kg超級 |
| 世界柔道選手権 | ||
| 金 | 1983 モスクワ | 無差別級 |
| 銀 | 1985 ソウル | 95kg超級 |
| アジア大会 | ||
| 銀 | 1986 ソウル | 95kg超級 |
| アジア柔道選手権 | ||
| 金 | 1981 ジャカルタ | 95kg超級 |
| 金 | 1984 クウェート | 95kg超級 |
斉藤 仁 (さいとう ひとし、1961年1月2日 - )とは、元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。現在柔道コーチ、国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。青森県青森市出身。段位は七段。
全日本柔道選手権大会における、山下泰裕9連覇の最後の3年間の決勝の対戦相手だった。現役時代はライバルと称されたが、ロサンゼルスオリンピックでは「先輩行ってきます」「頼んだぞ」という逸話が残されており、現役時代から信頼関係はあった。現在、共に指導者としてさらに深い信頼を寄せる間柄となっている。
目次 |
略歴
- 1961年、青森市筒井八ッ橋(現、筒井2丁目)で生まれる。
- 1967年、青森市立筒井小学校入学。
- 1973年、青森市立筒井中学校入学。柔道部に所属。3年生では青森県中学校体育大会夏季大会重量級で優勝。
- 1976年、青森市立筒井中学校卒業。国士舘高等学校入学。
- 1977年、高校2年夏のインターハイ団体決勝戦で代表戦に出、見事快勝し東京勢初の優勝校に導く。当時の体重は120〜130kg
- 1979年、国士舘高等学校から国士舘大学体育学部へ。
- 1983年、大学卒業、国士舘大学体育学部助手に。モスクワ世界選手権無差別で優勝
- 1984年、ロサンゼルスオリンピック、金メダル。選手時代は180cm・155kg
- 山下の引退後は日本柔道のトップに立つと期待されたが、同年ソウル1985年世界柔道選手権大会決勝で韓国代表趙容徹の反則技により、脱臼する重症で棄権負け。復活を望んだ1987年も全日本選手権大会前に右膝を怪我してしまう。度重なる大怪我で限界説が囁かれたが1988年全日本選手権で悲願の初優勝を果たし、ソウルオリンピック95kg超級代表に選出された。
- 1988年、ソウルオリンピック、金メダル。
- それまで全ての階級で日本人選手が金メダルを逃し、最後に出場する事による凄まじいプレッシャーの中で優勝し、同大会の柔道競技唯一の金メダルを獲得する。準決勝で対戦した韓国選手趙容徹(1985年のソウル世界選手権において、国際ルールでは反則負けが適用されて然るべき立ち姿勢から一挙に体を捨てた脇固めで負傷させられて、試合が続行できずに結果として敗れたことがあったが、本来なら趙の反則負けとなって然るべきであり、全日本柔道連盟もこの件に関して国際柔道連盟に抗議したものの、政治的配慮も働いてか、あやふやにされたといった経緯あり)による技の掛け逃げどころか、最後の方は組み合うことすら拒否して明確な逃げの姿勢を示した行為に対して、審判団がホームタウンによる大ブーイングにも関わらず、きちんと反則を適用した事象は前日までの地元贔屓の判定(ホームタウンディシジョン)に世界中から批判を浴び、遂に追い詰められた審判団が公正な判定をせざるを得なかった事実を証明している。なお趙容徹は対戦後に「斉藤は戦う姿勢を見せず卑怯だ」と自分の逃げ続けた姿勢を棚に上げ、斉藤に濡れ衣を着せる惨めな負け犬のコメントを残し、世界中の観戦者から筋金入りの卑怯者として、冷笑と失笑を持って迎えられた。強烈なプレッシャーの中、金メダルを獲得した斉藤選手は大いなる賞賛に価する。表彰式の時、斉藤選手が号泣しながら君が代を斉唱していた姿は強く印象に残る場面であった。また日本人応援団だけでなくフランス人など韓国以外の外国人も巨大な日の丸を振って斉藤をスタンドで応援していたことも印象的な出来事であった。これはそれまで日本人だけ無く他の国の選手も韓国の地元贔屓による不可解な判定で敗れて怒り心頭であったことが原因と伝えられている。
- 選手引退。以後国士舘大学柔道部コーチ、全日本柔道連盟男子強化ヘッドコーチとして活躍。国士舘大学体育学部教員を兼任。
- 2004年、アテネオリンピック日本選手団男子柔道監督。
- 2007年、講道館の鏡開きの際、形の演武を行った。彼いわく「オリンピックより緊張した」
- 2008年、北京オリンピック日本選手団男子柔道監督。
戦歴
- 1979年:全日本学生選手権 準優勝※
- 1980年:全日本学生選手権 優勝
- 1981年:全日本学生選手権 優勝
- 1982年:全日本選抜柔道体重別選手権大会95kg超級 準優勝※
- 1982年:嘉納治五郎杯国際柔道大会無差別級 準優勝※
- 1983年:モスクワ世界選手権無差別級 優勝
- 1983年:全日本選抜柔道体重別選手権大会95kg超級 準優勝※
- 1983年:全日本柔道選手権大会 準優勝※
- 1984年:全日本柔道選手権大会 準優勝※
- 1984年:ロサンゼルスオリンピック柔道95kg超級 金メダル
- 1985年:全日本選抜柔道体重別選手権大会95kg超級 優勝
- 1985年:全日本柔道選手権大会 準優勝※
- 1985年:ソウル世界選手権95kg超級 準優勝
- 1986年:全日本柔道選手権大会 3位
- 1988年:全日本選抜柔道体重別選手権大会95kg超級 優勝
- 1988年:全日本柔道選手権大会 初優勝
- 1988年:ソウルオリンピック柔道95kg超級 金メダル
※は、山下泰裕が決勝の対戦相手(通算7戦7敗)
著書
- 『じょっぱり柔道』(1989年2月、国書刊行会) ISBN 4-336-02293-3
- 『スポーツグラフィック 柔道』(1997年6月、成美堂出版) ISBN 4-415-08519-9
- 『常勝力』(2008年7月、幻冬舎)
余談
吉田戦車の伝染るんです。に登場する人面カブトムシ、「斎藤さん」のモデルとされている。
関連項目
外部リンク
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固有名詞の分類
関連した本
- 常勝力―結果を出し続けるために、リーダーがするべきこと 斉藤 仁 幻冬舎
- 柔道投技の骨組み 背負投編 徳田 真三 不昧堂出版
- 柔道パーフェクトマスター (スポーツ・ステップアップのDVDシリーズ) 南條 充寿 新星出版社

