文藝峰
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文 藝峰(ムン・イェボン、ハングル:문예봉、1917年1月3日 - 1999年3月26日)は、朝鮮および北朝鮮にて映画および舞台劇の分野で活躍した女優。本名は文 丁元(ムン・ジョンウォン、ハングル: 문정원)、創氏改名による日本名は林 丁元。可憐な娘役や若妻役を多くこなし、「朝鮮のリリアン・ギッシュ」とも称された[1]。
- ^ 越境の映画監督 日夏英太郎【許泳 ドクトル・フユン Dr.Huyung】 英太郎・花子の結婚生活(2009年6月13日)にて、日夏もえ子(英太郎の娘)は彼女がそう呼ばれていた事を紹介している。
- ^ a b c “〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち〉 女優・文芸峰”. 朝鮮新報. 2003年9月6日閲覧。
- ^ 卜煥模「第8章『若き姿』の国策性と新体制以後の国策映画の一覧」『朝鮮総督府の植民地統治における映画政策』(論文)、早稲田大学〈博士 (文学) 甲第2135号〉、2006年。
- ^ 帰らざる密使 allcinema 2010.1.14 02:10 (UTC) 閲覧
- ^ 우리 새 세대 (朝鮮語) KMDb 2010.1.14 02:14 (UTC) 閲覧
- ^ 「"韓国映画の歴史的人物 - ムン・イェボン」 朝鮮中央通信 2003年5月22日付
文藝峰
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ムン・イェボン(1917-1999.3.26) 人民俳優。功勲俳優。忠清南道出身。李奎煥監督の『主なき渡し舟』(1932)で羅雲奎の相手役でデビュー。清楚な魅力で『春香伝』(1935)など多くの映画でヒロインを演じ、日本でも映画雑誌の表紙を飾った。植民地時代は『君と僕』(1940)など日本の国策映画への出演も余儀なくされた。独立後の1948年に夫、息子とともに越北、朝鮮映画の第一作『我が故郷』(1948)に主演。以後多くの映画で活躍した。1948年最高人民会議一期代議員選出。1952年北京平和会議に出席。1958年朝・ソ親善協会中央委員。1961年祖国平和統一委員。1967年から復古主義、宗派主義者と批判され、1970年代末までは一線から外され巡回劇団に異動となっていた。1980年代に復帰。1982年人民俳優。1985年、高鶴林監督の『銀のかんざし』のロケで来日した。1991年、祖国統一汎民族連合の北側本部中央委員に選出。国旗勲章第一級。平壌にて死去。朝鮮のリリアン・ギッシュとも称される。主な出演作は、『主なき渡し舟』(1932)、『春香伝』(1935)、『薔薇紅蓮伝』(1936)、『人生航路』(1937)、『旅人』(1937)、『授業料』(1940)、『君と僕』(1940)、『家なき天使』(1941)、『志願兵』(1941)、『朝鮮海峡』(1943)、『愛と誓ひ』(1945)*以上植民地時代の作品。『我が故郷』(1948)、『少年パルチザン』(1951)、『パルチザンの乙女』(1954)、『新婚夫婦』(1955)、『白頭山が見える』 (1956)『金剛山の乙女』(1959)、『春香伝』 (1959)、『赤い花』(1963)、『侵略船シャーマン号』(1964)、『成長の途上にて』(1965)、『春香伝』(1980)、『二人の船長』(1982)、『我らはみな一つの家族』(1983)、『帰らざる密使』(1984)、『青い松』(1984)、『生命水』(1985)、『銀のかんざし』(1985)、『春の日の雪解け』(1985)、『光州は叫ぶ』(1986)、『偉大なる懐』(1986)、『君のための交響詩』(1991)、『バード』(1992)、『われら新世代』(1996)、『後日の私の姿』(1997)。
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