文皇哀冊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 10:00 UTC 版)
唐の太宗の崩御を悼んだ文で、署名はないが、貞観23年(649年)の遂良の書とされている。書体は楷書である。哀冊とは、皇帝の葬儀のとき、中書令が読む弔辞なので、太宗の喪礼(そうれい)のとき中書令であった遂良の自作の哀冊文とされている。この文は、『唐文粋』・『文苑英華』・『唐大詔令集』に収録されているが、それら各々の間にも字句の異同があり、また現存の法帖との間にも異同がある。単に転写の際の誤りのみでなく、改稿したものがそれぞれに伝わったためと思われる。 明の有名な評論家、王世貞はこの真跡本を入手して跋を書いており、その跋文によると、薛紹彭などの題識があり、また、米友仁の跋もあって、「遂良の真跡にあやまりなし」と断じている。この真跡本は今は失われているが、その刻本は早くから行なわれ、『戯鴻堂帖』・『鬱岡斎帖』・『秀餐軒帖』・『鄰蘇園帖』などの集帖に刻されている。
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