文久の改革とは? わかりやすく解説

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文久の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 02:14 UTC 版)

文久の改革(ぶんきゅうのかいかく)は、文久2年(1862年)に江戸幕府で行われた一連の人事・職制・諸制度の改革を指す。嘉永7年(1854年)の開国以来の混沌とした政治情勢を受けて、半ば非常時の体制へ移行したものであるが、その主導者は幕府自身(幕閣)ではなく、薩摩藩主の父・島津久光および朝廷公武合体公卿らの主導で出された勅使による圧力の下、やむを得ず改革を行ったものである。


注釈

  1. ^ 当時の一般的な序列では、ある藩の藩主の父でその藩の所属であり前藩主でもない人物は、その藩の一門家老と同格、つまり陪臣ということになる。
  2. ^ この人数は藩主とほぼ同格のもので、これも藩主の父というだけの無位無官の人物の行列としては幕府健在のころなら許されない規模であった。
  3. ^ 『ジャパン・ヘラルド』は1862年10月25日に「日本ではこの一週間に革命が行われた。静かにデモ一つ無く国の基本構造が変わったのだ。(中略)大名はいずれも妻や家族を人質として江戸に残す必要はなく領国に帰って住むことになった。この変革は大君(徳川将軍)の権威が失墜したことを示し、権力の座はおそらく間もないうちにミヤコ(朝廷)に移るだろう。」と報じた。ロシア領事ヨシフ・ゴシケーヴィチから外務省アジア局に宛てた報告書(1862年11月26日付)にも同様の表現が見られる[1]
  4. ^ 久光は「無位無官の島津三郎」から脱却するべく幕府に猟官運動を行ったが、このときは実現しなかった。

出典

  1. ^ 『ロシア人の見た幕末日本』、2009年、伊藤一哉、吉川弘文館


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文久の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 05:35 UTC 版)

参預会議」の記事における「文久の改革」の解説

文久2年1862年)夏、薩摩藩主・島津茂久実父である島津久光が兵を率いて上京し朝廷から幕府勅使大原重徳を下させて幕政改革を迫る(文久の改革)。 これにより、安政の大獄以来失脚していた松平春嶽(前越前藩主)が政事総裁職徳川慶喜一橋徳川家当主。のちの15代将軍)が将軍後見職として復帰した

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文久の改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 17:00 UTC 版)

八月十八日の政変」の記事における「文久の改革」の解説

詳細は「文久の改革」を参照 文久2年4月幕府安政の大獄処分受けていた一橋慶喜松平春嶽慶永、前越前藩主)、山内容堂(豊信、前土佐藩主)ら旧一橋派諸侯を、朝廷から要求される前に赦免した。彼らは開国派だったから、むしろ朝廷開国論転じさせるのに一肌脱いでもらおうというわけで幕府は春嶽に朝廷への入説を依頼する。春嶽が条件として将軍家茂の上洛要求し幕府受け入れて6月将軍上洛予告した薩摩側では久光側近大久保利通(一)らが岩倉具視など要路への運動奔走し5月岩倉の「三事策」が朝廷採用された。久光一行勅使大原重徳護衛として6月江戸下り一橋慶喜将軍後見職松平春嶽大老とすることを幕府迫った交渉結果7月慶喜将軍後見職、春嶽の政事総裁職決定し8月には山内容堂幕政への参与認められた。こうして改革スタートを切り、久光8月21日京都向かったが、途中東海道神奈川宿近く起こした生麦事件が後に困難な事態を招く。 政事総裁職となった春嶽は、政治顧問として招聘した横井小楠献策国是七条」の実施求めた幕府はこれを容れ、参勤交代緩和江戸大名妻子人質)の帰国許可幕府幕閣への進献礼装軽減などを進めた

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