教王護国寺文書
東寺文書
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東寺文書(とうじもんじょ)とは、京都市の東寺(教王護国寺)に伝来した文書の総称。
- ^ 榎原「東寺百合文書」『歴史学事典』。一方で榎原は東寺及び同寺荘園の事例を直ちに中世の典型例とみなすことに対する警鐘も鳴らしている。
- ^ 上島有「東寺文書の伝来と現状について」『東寺文書十万通の世界』、pp.9 - 19
- ^ 『東寺文書十万通の世界』、pp.26 - 34
- ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』405号、第一法規、1997、p.4
- ^ 平成9年6月30日文部省告示第129号
- ^ “「東寺百合文書」を記憶遺産に推薦 政府、15年登録目指す”. 日本経済新聞. (2014年3月25日)
- ^ 『東寺文書十万通の世界』、pp.72-75
- ^ “国宝「東寺百合文書」のインターネット公開について” (PDF). 京都府立総合資料館 (2014年2月28日). 2014年3月4日閲覧。
教王護国寺文書
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教王護国寺文書(きょうおうごこくじもんじょ)も、元は東寺百合文書にあった文書群の一部と推定されている。明治の一連の調査の際に、その価値が評価されることなく目録や影写本の対象から外され、そのまま桐箱から出された状態になっていたものである。昭和12年(1937年)、京都府で文化財の保護業務を担当していた赤松俊秀が3,043点の文書を再発見してその整理にあたり、その後赤松が京都大学が移るとともに文書も京都大学に移され、『教王護国寺文書』の名称で公刊された。東寺百合文書の京都府への移管と相前後して昭和43年(1968年)に正式に東寺から京都大学に譲渡され、昭和46年(1971年)に国の重要文化財に指定された。
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