教王護国寺文書とは? わかりやすく解説

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教王護国寺文書


東寺文書

(教王護国寺文書 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/27 07:32 UTC 版)

東寺文書(とうじもんじょ)とは、京都市東寺(教王護国寺)に伝来した文書の総称。


  1. ^ 榎原「東寺百合文書」『歴史学事典』。一方で榎原は東寺及び同寺荘園の事例を直ちに中世の典型例とみなすことに対する警鐘も鳴らしている。
  2. ^ 上島有「東寺文書の伝来と現状について」『東寺文書十万通の世界』、pp.9 - 19
  3. ^ 『東寺文書十万通の世界』、pp.26 - 34
  4. ^ 「新指定の文化財」『月刊文化財』405号、第一法規、1997、p.4
  5. ^ 平成9年6月30日文部省告示第129号
  6. ^ “「東寺百合文書」を記憶遺産に推薦 政府、15年登録目指す”. 日本経済新聞. (2014年3月25日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2500T_V20C14A3CC0000/ 
  7. ^ 『東寺文書十万通の世界』、pp.72-75
  8. ^ 国宝「東寺百合文書」のインターネット公開について” (PDF). 京都府立総合資料館 (2014年2月28日). 2014年3月4日閲覧。


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教王護国寺文書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 00:29 UTC 版)

東寺文書」の記事における「教王護国寺文書」の解説

教王護国寺文書(きょうおうごこくじもんじょ)も、元は東寺百合文書にあった文書群一部推定されている。明治一連の調査の際に、その価値評価されることなく目録影写本対象から外されそのまま桐箱から出された状態になっていたものである。昭和12年1937年)、京都府文化財保護業務担当していた赤松俊秀が3,043点の文書再発見してその整理にあたりその後赤松京都大学が移るとともに文書京都大学移され、『教王護国寺文書』の名称で公刊された。東寺百合文書京都府への移管相前後して昭和43年1968年)に正式に東寺から京都大学譲渡され昭和46年1971年)に国の重要文化財指定された。

※この「教王護国寺文書」の解説は、「東寺文書」の解説の一部です。
「教王護国寺文書」を含む「東寺文書」の記事については、「東寺文書」の概要を参照ください。

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