小教区
教会区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/22 07:29 UTC 版)
ヴェルヴァーの教会をいつ、誰が建設したかは、文献に記録がない。しかし1240年から1245年の古い修道院の文書にはヴェルヴァー教会区を含めその記述があるので、それ以前に建設されていたことが判る。建築様式や建設時の習慣からヴェルヴァー領主家が12世紀に私的な教会として建設したものと推測される。ゾーストの代官がヴェルヴァー家の後継者として引き継いだ教会の守護権がこれを示唆している。修道院時代にこの教会は必要に応じて増改築がなされた。 古いヴェルヴァーの教区連合は、レックリングゼン、クロティンゲン、フレルケ、マイエリヒ、ヴェーヴァーの 5つの集落を包含していた。歴史家は、この地域が元々ディンカー教会区に属していたという説を採用している。現在も毎年開催されベルデ主任司祭区の代表が招かれるゾーストのウルリヒパレードに、ディンカーの使者が、自治体「ブーテンリューデ」の代表に同行している事実に注目すべきである。隣接するヴェルヴァー司祭区はディンカーの後につきそっており、ディンカーの支部教会と認識されていた。 ヴェルヴァーの教会成立年代を推定するヒントは二人の守護聖人にある。古い教会は殉教者「イングランドのアルバン(ドイツ語版、英語版)」と「キリアクス(ドイツ語版、英語版)」に献ぜられた。キリアクス崇拝は、ゲロ辺境伯がこの聖人の聖遺物をローマからアッシャースレーベン(ドイツ語版、英語版)近郊のフローゼ修道院に移送したのちに興った。ヴァルヴァーの教会の主聖人である聖アルバヌスはさらに遡る。彼はキリスト教のドイツでの布教時代に持ち込まれた聖人で、イギリスで特に崇拝されていた。 何世紀にもわたって続けられている「聖霊降臨祭の月曜日の大パレード」はもともと「アルバヌス詣」であり、ディンカー、フルトロプ、リップボルクやヘーフェシュタットまでのリッペ川流域の村、リースボルン、ヴァーダースローはもちろん、ゾースト、シャイディンゲン、ヴェルルを含む周辺地域から巡礼が行われていた。19世紀初頭でも、教師ホンカンプの報告によれば2,000人から3,000人の「巡礼者」が訪れた。 古代からマイエリヒにあった教会の荘園は、ヴェルヴァーに教会が建設される前からそれに類するものがここにあったことを推測させる根拠となっている。ケルン大司教ハインリヒ2世・フォン・フィルネブルク(ドイツ語版、英語版)は1326年、ヴェルヴァーの司祭に「古代」に住居があった "Mederike"(マイエリヒ)に住むよう命じた。ヴェルヴァー地区での教会の発展に関わるできごとを考察し、列記すると以下のようになる: 8世紀 ?: マイエリヒに木造教会が建設され、聖アルバヌスを守護聖人とした。この教会は、破壊、火災、倒壊あるいはその他の理由で取り壊された。 10世紀から11世紀 ?: ヴェルヴァーの領主が、その館の近くに私有の教会を建設し、古くからのアルバヌスの守護を受け容れ、さらにその下位に「流行」にしたがって聖キリアクスの守護を置いた。 12世紀から13世紀: この私有教会が教区教会に発展し、ヴェルヴァー領主家がその守護権を持った。 13世紀から14世紀: この教区教会が修道院教会に転用され、それに伴い拡張された(1245年 - 1254年)。教区は修道院に編入された(1326年)。
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