敗亡とは? わかりやすく解説

はい‐もう〔‐マウ〕【廃忘/敗亡】

読み方:はいもう

[名](スル)

うろたえること。驚きあわてること。

「有繋(さすが)の秀才頗る—して」〈魯庵社会百面相

忘れ去ること。忘却

御尋ねありけるに、折節—して演(の)べ得ざりければ」〈盛衰記・四〉


はい‐ぼう〔‐バウ〕【敗亡】

読み方:はいぼう

[名](スル)

戦い負けて滅びること。また、負けて逃げること。「国が—する」

戦い負けて死ぬこと。

「敵の—滅尽其の数を知らず」〈独歩・愛弟通信


敗亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 13:45 UTC 版)

司馬冏」の記事における「敗亡」の解説

司馬顒部下であった李含当時洛陽入っていたが、司馬冏部下過去確執のあった皇甫商や夏侯奭らと対立したため、危害恐れて長安に戻ると、密詔受けた偽って長沙王司馬乂司馬冏を討つよう命じれば、兵力で劣る司馬乂は必ず殺されるでしょう。そして司馬乂滅ぼした罪を理由司馬冏攻め成都王司馬穎を迎え入れて社稷安定させれば大勲でしょう」と司馬顒に対して勧め司馬顒はこれに従った司馬顒司馬冏罪状上書し、自らは兵を集めて成都王司穎・新野王司馬歆范陽王司馬虓と合流する称し先んじて司馬乂司馬冏打倒檄文送った司馬穎もまた慮志の反対押し切って司馬顒挙兵呼応し司馬歆司馬虓もこれに呼応した12月司馬顒の上書が朝廷に届くと、司馬冏驚いて百官集め「かつて、孫秀反逆し司馬倫簒奪迫った時、社稷傾覆し、困難を御する人は誰もいなかった。我は義兵糾合して元凶掃除し臣下としての節操取り戻させ、神明を昭らかにした。今、河間長沙二王司馬乂司馬穎)は(司馬顒の)讒言信じ込み大難造ってしまった。忠臣謀士頼みとし、この不協を和さねばならぬ」と述べた尚書令王戎司空司馬越は「公の勲業多大ですが、功績に対して賞で報いなかったので不満を招いてしまいました二王司馬顒司馬穎)の勢い抑えるのは難しく大権譲渡して王爵のまま私邸帰るべきです」と進言したが、従事中郎旟は怒って司馬倫の簒奪当時天下人々こそこそ話し合うだけで、誰も先陣切って反対する者はいなかった。明公は箭矢に危険を晒すのを承知で自ら甲冑を身に纏い勇敢に突撃したので今の地位があるのだ。論功行賞が公平で無かったのは、三台納言政務疎かにしているからであり、我々の責任ではない。讒言によって乱を起こした者は共に誅討すべきであり、なぜ偽の詔書のために身を退かなければならぬだろうかこのような発言をする者は斬るべきだ」と述べると、百官色を失った洛陽にいた長沙王司馬乂司馬冏討伐兵を挙げると、百人余を率いて宮中入り諸門閉じて恵帝身柄確保しその後大司馬府を攻撃した司馬乂諸々の観閣や城門焼き討ち命じ城内では矢がのように飛び交い、炎の勢い前に百官消火励んだが、その過程次々命を落とした恵帝上東門移ったが、御前に矢が集ったので、近臣恵帝を矢から守った三日間の戦いの末、司馬冏劣勢となり、大司馬長史趙淵は何勗を殺して司馬冏捕えると、司馬乂投降した司馬冏恵帝前に引き出され恵帝はこれを痛ましく思って助命ようとしたが、司馬乂近臣叱責して司馬冏連れ出した司馬冏恵帝の方を振り向いて助け期待したが、閶闔門外処刑された。司馬冏の首は六軍示され司馬冏協力した者達は三族誅滅され、死者二千人を超えた司馬冏の子である司馬超・司馬冰・司馬英は金墉城に幽閉され司馬冏の弟である北海王司馬寔は王位廃された。司馬冏死体西明亭で暴され、3日経過して収容する人はいなかったが、司馬冏の掾属であった荀闓らは、上表して葬儀執り行い乞い許された。洛陽へ進撃していた李含らは司馬冏死んだ聞き長安帰還した

※この「敗亡」の解説は、「司馬冏」の解説の一部です。
「敗亡」を含む「司馬冏」の記事については、「司馬冏」の概要を参照ください。


敗亡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 10:00 UTC 版)

趙廞」の記事における「敗亡」の解説

同時期、牙門将許弇は巴東監軍の職を求めたが、淑・張粲らはこれに固く反対して認めなかった。許弇は怒り趙廞陣営に入ると、淑と張粲を自ら斬り殺した淑・張粲の側近がこれを察知すると、許弇を殺害した。彼ら三人は皆、趙廞腹心であった為、この一件でその勢力大きく衰えた。 この時、李特李流は兵を率いて北道封鎖続けていたが、趙廞李特らが反乱を起こすことを恐れ使者派遣して李庠人臣として言ってならないことを口にした為に死罪となった。だが、この罪は兄弟には及ばない」と諭させた。また、李庠の屍を李特の下へ返還し李特李流を督将に任じ、彼らとその配下慰撫した。だが、李特らは趙廞甚だ怨みその日夜に兵を率いて綿竹帰った趙廞はかつて陰平県令であった張衡らを李特の下へ派遣して怒り鎮めようとしたが、みな李特殺された。 その為、趙廞蜀郡太守苾・督護常俊らに1万余りの兵を与え北道封鎖継続させ、長史費遠が後続となった前鋒軍は綿竹の石亭に拠点築いた李特らは密かに7千人余りの兵を集め、費遠の陣営夜襲した。費遠らの軍は大敗喫し放火により陣営焼き払われ八・九割が戦死した李特そのまま成都目指し進撃した趙廞はこれを聞くと、恐れるばかりで為す術知らなかった。中郎常美・費遠・苾・張微らは夜の間に関を突破して逃亡し文武百官離散した趙廞もまた城を放棄して妻子と共に小船乗って広都まで逃走図ったが、従者竺に殺害された。

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敗亡

出典:『Wiktionary』 (2021/08/21 10:34 UTC 版)

別表記

名詞

  1. はいぼう戦い負け滅びること。
  2. はいもう狼狽えること。
  3. はいもう忘れ去ること。

動詞

活用

サ行変格活用
敗亡-する



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