手紙
『検察官』(ゴーゴリ) 下級官吏フレスタコーフは、政情視察の検察官と間違えられたことに乗じて、市長たちから賄賂をせしめる。彼は潮時を見て、街を抜け出す。ところが郵便局長が、フレスタコーフが友人に出した手紙を、ひそかに開封していた。それを読んだ市長たちは、フレスタコーフが文無しの下級官吏にすぎなかったことを知る。そこへ、本物の検察官がやって来る。
『ヘッドライト』(ヴェルヌイユ) 初老のトラック運転手ジャンは、妻と娘1人・息子2人の5人家族である。年頃の娘はタレント志望で、ジャンはそれが気に入らない。ある時、娘宛ての手紙をジャンは勝手に開封してしまい、娘は怒る。何日か後、ジャンに来た手紙を、今度は娘が開封して読む。それは愛人クロチルドからの、妊娠を知らせる手紙だった。娘はジャンに手紙を渡さず、ジャンは返事を出せなかった。
『手紙』(モーム) 人妻レズリーは、夫の留守中に愛人ハモンドを家に呼ぶが、別れ話が出て、レズリーはハモンドを射殺する。レズリーは「ハモンドが家に押しかけ襲いかかった」と供述し、皆が正当防衛と認める。ところが、レズリーがハモンドを招いた手紙が、ハモンドの中国人情婦の手元に渡り、その手紙を1万ドルで買うようにレズリーの夫は要求される。夫は事件の真相を知って手紙を買い戻し、レズリーは裁判で無罪となる。
『サムエル記』下・第11章 ダビデ王は、戦場にあるヨアブあてに手紙を書き、それをウリアに持って行かせる。手紙には、「ウリアを最前線に出して戦死させよ」と記してあった。ウリアは戦死し、その妻バト・シェバ(=バテシバ)はダビデ王の妃となった→〔水浴〕2。
『背中の曲がった男』(ドイル) ナンシーは、夫バークレイ大佐が若き日に、『旧約聖書』のダビデ王同様の卑劣なふるまいをしたことを知り、「卑怯者! ディヴィッド!」と、夫を罵(ののし)る。夫は卒中の発作を起こして死に、それを見たナンシーは発狂状態になる。当初、ナンシーが夫を殺したのではないかと疑われ、謎の人物ディヴィッドが事件のカギを握っている、と見なされた。さすがのホームズも、ディヴィッド=ダビデ王、とは気づかなかった。
『武道伝来記』巻7-1「我が命の早使」 日向の磯辺家の家老・塚林権之右衛門は、主人頼母(たのも)の命令で、書簡を三河の春川主計(かずへ)のもとへ持参する。主計が書簡を開くと、「この者を成敗すべし」と書いてある。好色な頼母が権之右衛門の妻に横恋慕し、「権之右衛門を目立たぬよう他国で殺そう」とたくらんだのであった〔*主計は権之右衛門を殺さず、一間にかくまう。頼母は、権之右衛門の妻が意に従わないので、手槍で突き、なぶり殺しにする〕。
★2d.「死の手紙」を持たされたが、窮地を脱することができた。
『ギリシア神話』(アポロドロス)第2巻第3章 アルゴス王プロイトスは、「ベレロポン(=ベレロポンテース)が王妃を誘惑した」との誣告を信じ、彼に手紙を持たせて小アジアのイオバテス王のもとへ送る。手紙には「ベレロポンを殺せ」と書いてあった。イオバテスは、「ベレロポンを怪物キマイラと戦わせて殺そう」と考え、キマイラ退治を命じた→〔怪物退治〕1。
『十八史略』巻6「宋」 宋朝廷の国書を持って、富弼が契丹に向かう。宰相呂夷簡は、富弼をおとしいれようと、彼にさずけた口上と国書の内容とをことさらに違わせた。富弼は途中で国書を開き見て違いを知り、いそいで宋に引き返した。
『捜神記』巻4-4(通巻74話) 泰山を通る男が、府君から娘婿の河伯(黄河の神)への手紙を託される。男は黄河中流まで船を出し、河伯のもとへ到り手紙を渡して、返礼に靴を贈られる。
『太平広記』巻375所引『列異伝』 泰山の建物に迷いこんだ男が、府君から、外孫の天帝への手紙を託される。男は天帝に手紙を届け、返礼に、死後3年たつ妻を生き返らせてもらう。
『酉陽雑俎』巻14-545 南燕の太上年間(405~410)、邵敬伯という者が、呉江の神の使者から、済水の神への手紙を託された。敬伯は案内人に従い、目を閉じて水中に入り、広大な宮殿に到る。80~90歳の老人の姿をした済水の神に手紙を渡し、返礼に、水難よけの刀を贈られた〔*後、洪水で村が水没した時、敬伯は大亀に乗って無事だった。彼が死ぬと刀もなくなった〕。
『柳毅伝』(唐代伝奇) 旅の途中の柳毅は、龍王の娘から手紙を託され、洞庭湖底の龍宮へ届ける。武士に案内され、目を閉じて水に入ると数呼吸のうちに龍宮に着き、もてなしを受ける。後、柳毅は龍王の娘と結婚して幸福に暮らす。
『三人の妻への手紙』(マンキーウィッツ) 若妻3人、デボラ、リタ、ローラメイのもとへ、共通の友人アディから1通の手紙が届き、「3人のうちの1人の夫と駆け落ちする」と書いてあった。夜、デボラの夫が帰宅しないので、彼女は「夫は駆け落ちした」と思う。しかし、ローラメイの夫が「僕がアディと駆け落ちするはずだったが、取りやめたのだ」と言って、デボラを安堵させる。デボラが立ち去った後、リタが「朝になれば、どうせわかるわ」と言う。
★5.手紙の入れ違い。
『十八史略』巻4「東晋」 桓温が、「殷浩を中書令僕射に任命する」と伝える。殷浩は喜び、礼状を書くが、誤りがあってはならぬと、文箱を開閉して手紙を読みなおすこと10数度、ついに空の文箱を送ってしまう。桓温は怒り、殷浩の任官は取り消された。
『心中万年草』上之巻「吉祥院の段」 お梅は、恋人の吉祥院寺小姓久米之介を呼び戻そうと、父隠居のため久米之介に暇を請う旨の偽手紙を作り法印に送る。ところが、中身を久米之介あての恋文と入れ違え、2人の仲は露顕する。
『かげろふ日記』中巻・安和2年6~7月 私(藤原道綱母)は藤原兼家の妻であるが、世間では、兼家の正妻は時姫、と見なしているようだ。西宮の左大臣(源高明)が配流された時、私は、慰めの手紙を左大臣の北の方に送った。北の方は返信を書き、「兼家様の奥様に届けよ」と召使いに命じた。召使いは「奥様=時姫」と考え、返信を時姫のもとへ届けてしまった。時姫の所では、変だとも思わなかったのだろうか、北の方へ返事を出したらしい。
『今昔物語集』巻30-11 妻を2人持つ男が、浜辺で海松のついた蛤を見つけて珍しがり、小舎人童に命じて今の妻のもとへ届けさせる。小舎人童は誤って本の妻の所へ持って行く。本の妻は「あまのつと思はぬ方にありければ見る(海松)甲斐(貝)なくも返しつるかな」と書き送る。
『十八史略』巻4「隋」 隋の文帝楊堅が病む。太子広は、父帝崩御後のことを予測し、僕射の楊素に相談の手紙を送った。ところが、楊素からの返書を、取り次ぎの官人が誤って文帝の所へ届けた。文帝はこれを見て大いに立腹した。
『最後の事件』(ドイル) シャーロック・ホームズとワトソンがスイスのライヘンバハ滝を旅していた時、重態の肺結核患者の診察を請う手紙がホテルから届き、ワトソンはホテルへ戻る。それはモリアティ教授によるにせ手紙で、モリアティはホームズに1対1の勝負を挑もうとしたのだった。ホームズはにせ手紙であることを承知の上でワトソンと別れ、モリアティとの対決に臨む。
『三国志演義』第36~37回 曹操は、劉備の軍師である徐庶を、自軍に招きたいと考える。そこで、徐庶の母親を一室に軟禁し、彼女の筆跡を模倣してにせ手紙を作り、徐庶を呼び寄せる。徐庶は、本物の母親の手紙と思って曹操のもとへ行き、母親に対面する。母親は、徐庶を「愚か者」と叱りつけ、首をくくって死んでしまう〔*その後、徐庶は曹操のもとにありながら、彼のために献策することはなかった〕。
★8.にせの手紙を用いて、味方どうし・恋人どうしの仲を裂く。
『南総里見八犬伝』第9輯巻之10第110回 里見義成は、娘浜路姫が犬江親兵衛に宛てた恋文を拾い、親兵衛に「関八州を歴覧し、七犬士を捜せ」と命じて、稲村城から追い出す。実はそれは、親兵衛と里見家を引き離すべく、妙椿尼の幻術で作られたにせ手紙だった。
『ランメルモールのルチア』(ドニゼッティ) 城主エンリーコは妹ルチアを政略結婚させようとするが、ルチアには恋人がおり、しかもそれはエンリーコにとって仇敵のエドガルドであった。エンリーコは2人の仲を裂くために、エドガルドの心変わりを伝えるにせ手紙を用いる→〔狂気〕4。
『三国志演義』第30回 曹操の軍が袁紹の軍を打ち破り、袁紹は所有する金銀や文書などをことごとく捨てて逃げる。その中に、曹操の軍中から袁紹に内通した手紙類が1束あったので、側近が「1人1人姓名を調べ上げて死罪にすべき」と曹操に進言する。しかし曹操は手紙を見ず、そのまますべて焼却させた。
『平家物語』巻11「文之沙汰」 平家滅亡の後、生き残った平大納言時忠は、他見をはばかる手紙類の入った箱を源義経に取られ、「手紙が鎌倉の頼朝に見られたら、我が命はあるまい」と恐れる。時忠は義経に娘を1人与え、義経は手紙を開封せぬまま、時忠に返す。時忠はすぐに手紙を焼却する。
『蒙求』523「孔翊絶書」 孔翊は洛陽の令となったが、政治に私情をさしはさむことはなかった。頼み事・願い事の手紙が来ると、1通も開くことなく、すべて水中に投げ込んでしまった。
★10.投函されなかった手紙。
『氷点』(三浦綾子)「激流」 病院長辻口啓造の3歳の娘ルリ子が、日雇い人夫の佐石に殺された。佐石は逮捕された後に縊死した。辻口は、日頃の「汝の敵を愛せよ」という信条にしたがい、ルリ子の身代わりとして佐石の娘を引き取り、育てる。彼はその折の心の迷いを、親友高木への手紙に書きつつ、結局投函しなかった。辻口の妻夏枝は、自分が殺人者の娘を育てているとは知らなかったが、ある時、夫の書斎を掃除していて、その手紙を見つける。
★11.死者からの手紙。
『述異記』(祖冲之)16「碁敵のいざない」 朱道珍と劉廓は、いつも2人で碁盤を囲み、日も夜も忘れるほどだった。朱道珍は宋の元徽3年(475)6月26日に死んだが、その年の9月に、見知らぬ男が劉廓のもとへ手紙を届けた。手紙は朱道珍の筆跡で、「近々お会いできるのが楽しみです」と書いてあった。読み終えると手紙はどこかへ失せてしまった。劉廓はまもなく病気になり、死んだ。
★12.文通。
『ペンフレンド』(スレッサー) 53歳のマーガレットは、22歳の美しい姪マージーの写真を使い、彼女になりすまして、青年コリンズと文通していた。コリンズは終身懲役囚だったが、ある夜、脱獄してマーガレットの家へ押しかけ、「マージーに会わせろ」と要求する。マーガレットは燭台でコリンズを一撃して気絶させ、駆けつけた警察がコリンズを逮捕して刑務所へ戻す。マーガレットは再びマージーの名前で、コリンズに宛てて愛情のこもった手紙を書く。
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