戦争調査会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/11 02:20 UTC 版)
戦争調査会(せんそうちょうさかい)は、1945年(昭和20年)11月に幣原喜重郎内閣により設置された日本の大東亜戦争に関する調査、審議機関である。設置当初は大東亜戦争調査会という名称であったが、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の指令により、1946年(昭和21年)1月に戦争調査会と改められ[1][2]、同年9月にGHQの意向を受けた第1次吉田茂内閣により廃止された。
註釈
- ^ 戦争の政治的責任及び調査の要請は、芦田均衆議院議員からも挙がっており、新聞の論説にも登っていた。また、青木得三によれば、昭和天皇からも東久邇宮稔彦王と幣原に対して、戦争の原因と敗因の調査が必要である旨を述べられたとされる[3]。
- ^ 当初は内閣調査局内に設置することが図られていたが、次田大三郎国務大臣により、軍部と協調して統制経済を推し進めた官僚の在籍に疑問が持たれ、内閣調査局の廃止が検討されたのち、三好重夫内閣副書記官が独立した調査会を設置する案を提唱した[4]。
- ^ ただし、調査会の調査が廃止までの間に進まなかった為、参与は想定された任務を果たすことはできなかった[9]。
- ^ 事務局が設置した5つの調査室は、この5部会にそれぞれ対応する[7]。
- ^ 総会は調査会内における最高機関であったが、委員任命直後に2回開催されたのみで、総会では具体的な審議は行われなかった[11]。
- ^ 調査会調査官の山本善雄(第二復員省総務局長)は、第1回総会の感想を「戦争に直接関係少なかりし人を選定せる委員なれば、新顔多し、只今後の調査果して真相を書き得るや疑問なり」と日記に疑問を呈した[12]。
- ^ 戦争調査会の委員である八木秀次、柴田雄次、木村介次は過去に科学技術審議会の委員の職責を果たしていた[17]。
- ^ 第二部会は他の部会と異なり、委員は設置されていない[22]。
出典
- ^ “戦争調査会”. アジア歴史資料センター. 2016年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月5日閲覧。
- ^ a b 冨田(2013年)87頁
- ^ a b c d e 冨田(2013年)87-88頁
- ^ a b c 冨田(2013年)89頁
- ^ a b c d e f g h 冨田(2013年)95頁
- ^ 冨田(2013年)95-96頁
- ^ a b c d e f g h i 冨田(2013年)90頁
- ^ 冨田(2013年)93頁
- ^ a b 冨田(2013年)94頁
- ^ a b c d e f g h i 冨田(2013年)97-99頁
- ^ 冨田(2013年)93-94頁
- ^ 冨田(2013年)97-98頁
- ^ a b c d e f 冨田(2013年)99-100頁
- ^ a b c 冨田(2013年)100-101頁
- ^ a b c “(新聞と9条)非戦語った「幻の調査会」 敗戦直後にGHQの意向で消滅”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年3月30日) 2016年1月5日閲覧。
- ^ a b 冨田(2013年)103頁
- ^ a b c d 冨田(2013年)103-104頁
- ^ a b c d 冨田(2013年)104頁
- ^ a b c 冨田(2013年)105頁
- ^ 冨田(2013年)106頁
- ^ 『歴史街道』2005年11月号、73ページ、保坂正康の記事『なぜ「大東亜戦争調査会」は廃止されたのか』
- ^ 冨田(2013年)91頁
- ^ 冨田(2013年)92-93頁
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