戦争と平和 (1967年の映画)
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『戦争と平和』(せんそうとへいわ、Война и мир)はロシアの文豪レフ・トルストイの代表作の1つである大河歴史小説『戦争と平和』を映画化した作品。1965年から1967年にかけて公開されたソビエト連邦の歴史映画の4部作であり、戦闘シーンに12万人を超すエキストラが動員されて、セリフのある役が559人の出演者、当時のソ連が国を挙げて国家事業として製作撮影して全4部で上映時間が6時間半を超す超大作の映画である。
注釈
- ^ インターネット・ムービー・データベースでは製作費$100,000,000と表示されているが、初公開時に32,601,805ルーブルと公表されており[要出典]、当時のドル換算と当時の円レートではこの数字となる。なお50年後の今日のドルの価値に換算すると、約7.5倍として約2億7千万ドルとなる。
- ^ トルストイが永遠の女性像として、希望と賛美をこめて生き生きとした生命力にあふれた女性として描いている。[要出典]
- ^ 原作にも書かれてあるシーンで映画でも忠実に将軍たちのモスクワ撤退を決めた会議を上から見つめる少女の姿を映している。なお同じく1956年のアメリカ製作の映画『戦争と平和』でも同じ少女が出てくる。
- ^ トルストイが一つの人間の理想像として描いている人物である。ロシアの理想的な農夫とも受け取れる。「ロシア的な素朴と真実の精神の高遠にして不可思議な善良円満な化身」と小説で描いている。トルストイが晩年に90歳で家出をするが、それはカラターエフのような一切を投げ出して全く無一文の農夫になりきり生きようとしたからとも解されている。[要出典]
- ^ 賢くて芯の強い女性。父のボルコンスキー伯爵の面倒を見たので青春を棒にふったが、アンドレイと最初の妻リーザの間に生まれた男の子ニコレンカを育て、またアンドレイの看病をナターシャとともにする間にナターシャと深い友情を結ぶ。後にナターシャの兄ニコライと結婚して幸福な家庭を築く。
- ^ この喪服姿でピエールに微笑みかけるナターシャの笑顔が、1967年初公開時のパンフレットの表紙を飾っていた。そしてこの笑顔を見せるカットがこの映画でナターシャが映る最後のカットでもあった。それはこのドラマで多数の人々が戦争で傷つき亡くなっていったことへの鎮魂と、過酷な運命を生き抜いたピエールやナターシャ、そしてマリヤなどの無数の人々へのトルストイの賛歌である。[要出典]
- ^ 小山田は56年版でもピエールを吹き替えている。
- ^ 1960年代は固定為替レートの時代で1ドル=360円、1ルーブル=400円であった。
- ^ 完成した1967年はロシア革命から50周年の年であった。
出典
- ^ “Voyna i mir I: Andrey Bolkonskiy (1965) - Release dates” (英語). IMDb. 2013年4月25日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)231頁
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)241頁
- ^ “Moscow International Film Festival (1965)” (英語). IMDb. 2013年4月25日閲覧。
- ^ “Voyna i mir (1967) - Awards” (英語). IMDb. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “戦争と平和(第一部)”. KINENOTE. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “戦争と平和(完結篇)”. KINENOTE. 2013年4月23日閲覧。
- ^ a b 1967年11月の「完結編」初公開時のパンフレット(日本ヘラルド映画株式会社)。
- ^ a b c “Voyna i mir (1967) - Trivia” (英語). IMDb. 2013年4月27日閲覧。
- ^ “Irina Skobtseva - Biography” (英語). IMDb. 2013年5月15日閲覧。
- ^ “戦争と平和 【完全版】”. Amazon.co.jp. 2013年4月23日閲覧。
- ^ “War and Peace (Voyna i Mir) (1968)” (英語). Rotten Tomatoes. 2020年7月23日閲覧。
- 1 戦争と平和 (1967年の映画)とは
- 2 戦争と平和 (1967年の映画)の概要
- 3 製作
- 4 その他
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