戊午の密勅とは? わかりやすく解説

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戊午の密勅

読み方:ボゴノミッチョク(bogonomicchoku)

安政5年8月8日付で幕府水戸藩出され勅諚


戊午の密勅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 07:12 UTC 版)

戊午の密勅(ぼごのみっちょく)は、日米修好通商条約の無勅許調印を受け、安政5年8月8日1858年9月14日)に孝明天皇水戸藩に幕政改革を指示する勅書(勅諚)を直接下賜した事件である。「戊午」は下賜された安政5年の干支が戊午(つちのえ・うま)であったことに由来し、「密勅」は正式な手続(関白九条尚忠の参内)を経ないままの下賜であったことによる(九条関白には武家伝奏から天皇の堅い意志である旨伝え、承認を受けた)。


  1. ^ 勅諚全文でも「三卿」となっているが、御三卿の1つである清水徳川家は当時、当主不在が続き、屋敷・所領・家臣などは幕府に収公される明屋敷という休眠状態になっていた
  2. ^ 薩摩藩から兵200から300人が上京し、彦根城を落城させるというもので、伊地知正治からの伝聞として、長野主膳から井伊へ宛てた手紙に記載があるのみ


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