恒良親王とは? わかりやすく解説

つねなが‐しんのう〔‐シンワウ〕【恒良親王】

読み方:つねながしんのう

[1324〜1338]後醍醐天皇の第6皇子。名は「つねよし」とも。建武元年(1334)皇太子となり、建武政府崩壊して3年新田義貞とともに越前金ヶ崎城に拠ったが斯波(しば)氏らとの戦い敗れ京都毒殺されたという。


つねよし‐しんのう〔‐シンワウ〕【恒良親王】

読み方:つねよししんのう

つねながしんのう(恒良親王)


恒良親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/17 08:08 UTC 版)

恒良親王(つねよししんのう[注釈 2])は、後醍醐天皇皇子皇太子。母は後醍醐の寵姫阿野廉子成良親王、義良親王(後村上天皇)の同母兄。日本最後の伊勢神宮斎宮祥子内親王の同母弟。後醍醐天皇と足利尊氏との内戦の中で、一時的に天皇となる。


注釈

  1. ^ 太平記』は延元3年/建武5年4月13日1338年5月3日)に京都花山院第で薨去(毒殺)とするが、信用をおけない。本文参照。
  2. ^ 鎌倉時代・南北朝時代の研究が進む以前は「つねながしんのう」と呼ばれることも多かった。詳しくは、後醍醐天皇の皇子の名の読みを参照。

出典

  1. ^ a b c d e f g 森 2007, pp. 239–240.
  2. ^ a b c d e f g h i j 森 2013, §4.1.1 幻の北陸王朝.


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