おうご 【応其】
木食応其
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木食応其(もくじき おうご、天文5年(1536年)- 慶長13年10月1日(1608年11月8日))は、安土桃山時代の真言宗の僧で、出家前は六角氏に仕える武将、出家後は外交僧・勧進僧・連歌学者として活動した。法名(法諱)を応其(應其)、字を順良、房号を深覚と云い、深覚坊応其と称す。木食は木食行を修めた者への称で、木食応其は通称[注釈 1]。木食応其は大規模工事に巧みであったため、豊臣秀吉の命で方広寺大仏殿(京の大仏)造営の任にあたったことで知られる。
注釈
- ^ 興山寺の住持として興山上人とも称され、木食興山応其上人から木食興山とも称される。
出典
- ^ a b c d e 和多 1961, p. 30.
- ^ 徳永良次「和歌山・桃山町 興山寺所蔵の木食應其上人関係資料」(PDF)『北海学園大学人文論集』第36号、2008年、289-324頁。
- ^ 和多 1961, p. 31.
- ^ 和多 1961, p. 32-36.
- ^ 和多 1961, p. 32.
- ^ a b 和多 1962, p. 82.
- ^ 和多 1962, p. 83.
- ^ 和多 1962, p. 82-94.
- ^ 川口素生「秀吉と木食応其」『歴史読本』2月号、2010年、174-177頁。
- ^ 木村展子「四天王寺の慶長再建について」(PDF)『美術史論集』第9号、神戸大学、2009年2月、21-33頁。
- ^ 太田直之『中世の社寺と信仰』弘文堂、2008年。
- ^ 和歌山県立博物館 編『特別展「京都・安楽寿院と紀州・”あらかわ” ―木食応其を支えた僧・覚栄の事績を中心に―」』2010年。
- ^ a b 和多 1962, p. 91.
- ^ 西山孝樹、知野泰明「応其上人に関する研究」(PDF)『土木史研究 講演集』第28巻、2008年。
- ^ 田村正紀「凍豆腐と調理」『調理科学』第3号、一般社団法人日本調理科学会、1985年、142-146頁、doi:10.11402/cookeryscience1968.18.3_142。
- ^ 和歌山県立博物館 編『特別展「没後四〇〇年 木食応其―秀吉から高野山を救った僧―」』2008年。
- ^ 東京国立博物館、名品ギャラリー
- ^ 高野山霊宝館、奥院経蔵
- ^ 平凡社 編『日本歴史地名大系 第27巻 京都市の地名』1979年、257頁。
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