志賀親守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:20 UTC 版)
志賀 親守(しが ちかもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後国の大友氏の家臣。志賀親益の子。
- ^ 通称は主計。寿閑、浄閑とも。清田鎮忠の婿養子・凉泉院の夫。洗礼名はドン・ペドロ。熊本細川藩の切支丹類族帳に見る「清田石見母転切支丹凉泉院系」によると、凉泉院は清田鎮乗寿閑の妻。養母は大友宗麟の娘 エピローグ「清田家系図 志賀親度室。実は奈多夫人と先夫・服部右京亮の女。
- ^ 林宗頓、洗礼名はゴンサロ。『志賀家系図』(長崎歴史文化博物館蔵)によると、林ジュリア(元は吉弘鎮信側室、のちは大友宗麟の継室)と吉弘鎮信の娘・林コインタ(林ジュリアの連れ子として宗麟の養女となる)と結婚した。
- ^ 『志賀文書』、『志賀家系図』、『志賀家事歴』(長崎歴史文化博物館蔵)によると、志賀安房守親守(道輝)は、親次の「祖父」ではなく実父であった。親次の父は実に長兄・親孝(親度)。親次は長兄親孝の養子となり、本家の家督を継いだ。
[続きの解説]
「志賀親守」の続きの解説一覧
- 1 志賀親守とは
- 2 志賀親守の概要
固有名詞の分類
- 志賀親守のページへのリンク