志摩郡
志摩郡(第1次)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:11 UTC 版)
「志摩郡 (三重県)」の記事における「志摩郡(第1次)」の解説
元は志摩国全域を郡域とする郡(しまのこおり)であった。 養老3年(719年) - 答志郡・佐芸郡(後に英虞郡に改称)に分割され、一旦消滅。
※この「志摩郡(第1次)」の解説は、「志摩郡 (三重県)」の解説の一部です。
「志摩郡(第1次)」を含む「志摩郡 (三重県)」の記事については、「志摩郡 (三重県)」の概要を参照ください。
志摩郡(第2次)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 08:11 UTC 版)
「志摩郡 (三重県)」の記事における「志摩郡(第2次)」の解説
1.鳥羽町 2.答志村 3.神島村 4.坂手村 5.加茂村 6.鏡浦村 7.長岡村 8.的矢村 9.安乗村 10.国府村 11.磯部村 21.鵜方村 22.立神村 23.甲賀村 24.志島村・名田村・畔名村 25.波切村 26.船越村 27.片田村 28.布施田村 29.和具村 30.越賀村 31.御座村 32.浜島村(紫:鳥羽市 桃:志摩市) 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、答志郡・英虞郡の区域をもって再び発足。(1町24村)旧・答志郡(1町10村) - 鳥羽町、答志村、神島村、坂手村、加茂村、鏡浦村、長岡村(現・鳥羽市)、的矢村、安乗村、国府村、磯部村(現・志摩市) 旧・英虞郡(14村) - 鵜方村、立神村、甲賀村、志島村、畔名村、名田村、波切村、船越村、片田村、布施田村、和具村、越賀村、御座村、浜島村(現・志摩市) 明治30年(1897年)5月31日(1町27村)答志村の一部(菅島)が分立して菅島村が発足。 答志村の一部(桃取)が分立して桃取村が発足。 鵜方村の一部(神明浦)が分立して神明村が発足。 9月1日 - 郡制を施行。郡役所が鳥羽町に設置。 大正8年(1919年)10月1日 - 浜島村が町制施行して浜島町となる。(2町26村) 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。 昭和3年(1928年)8月1日 - 波切村が町制施行して波切町となる。(3町25村) 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は277.24平方km、人口は73,776人(男35,046人・女38,730人)。 昭和14年(1939年)7月1日 - 和具村が町制施行して和具町となる。(4町24村) 昭和17年(1942年)6月10日 - 坂手村が鳥羽町に編入。(4町23村) 昭和26年(1951年)1月1日 - 鵜方村が町制施行して鵜方町となる。(5町22村) 昭和29年(1954年)8月1日 - 波切町・船越村・名田村が合併して大王町が発足。(5町19村) 11月1日 - 鳥羽町・加茂村・長岡村・鏡浦村・桃取村・答志村・菅島村・神島村が合併して鳥羽市が発足し、郡より離脱。(4町12村) 12月1日 - 和具町・片田村・布施田村・越賀村・御座村が合併して志摩町が発足。(4町8村) 昭和30年(1955年)1月1日 - 鵜方町・神明村・立神村・志島村・甲賀村・国府村・安乗村が合併して阿児町が発足。(4町2村) 2月11日 - 磯部村・的矢村が度会郡神原村の一部(栗木広・檜山・山原)と合併して磯部町が発足。(5町) 昭和31年(1956年)9月30日 - 畔名村が大王町に編入。 平成16年(2004年)10月1日 - 浜島町・大王町・志摩町・阿児町・磯部町が合併して志摩市が発足。同日志摩郡消滅。三重県内では1956年の郡再編以来、初の郡消滅となった。
※この「志摩郡(第2次)」の解説は、「志摩郡 (三重県)」の解説の一部です。
「志摩郡(第2次)」を含む「志摩郡 (三重県)」の記事については、「志摩郡 (三重県)」の概要を参照ください。
- 志摩郡のページへのリンク