得河義秀とは? わかりやすく解説

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得河義秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 07:09 UTC 版)

得河 義秀(とくがわ よしひで)は、『吾妻鏡』にのみ記された平安時代末期から鎌倉時代初期の武士御家人。三郎。通説では世良田義季(得川義季)と同一人物とされる[1]が、義季と別人だとする説が存在する(詳細は後述)。


  1. ^ 群馬県史編さん委員会編 『群馬県史』通史編3、群馬県、1989年。
  2. ^ 清水昇 『消された一族-清和源氏新田氏支流・世良田氏』 あさを社、1990年。
  3. ^ 加藤克巳「「徳河義秀」の素性-新田義季の所領拡大過程を考える」『群馬文化』232、1992年。
  4. ^ 久保田順一「長楽寺建立・再建と新田一族」『ぐんま史料研究』22、2004年。


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