後鳥羽とは? わかりやすく解説

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後鳥羽天皇

(後鳥羽 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 22:07 UTC 版)

後鳥羽天皇(ごとばてんのう、旧字体後鳥羽󠄀天皇1180年8月6日治承4年7月14日[1]〉- 1239年3月28日延応元年2月22日[2][3])は、日本の第82代天皇(在位:1183年9月8日寿永2年8月20日〉- 1198年2月18日建久9年1月11日〉)。尊成(たかひら・たかなり)。


注釈

  1. ^ 丸谷才一は、宝剣喪失が後鳥羽院の幼時からの「心の傷」であり、そこに由来する屈辱感と自己嫌悪がその行動原理に反映されていると説く[6]
  2. ^ 例えば、藤原定家は後鳥羽上皇と順徳天皇の度を越した蹴鞠好きを批判した際に「百王八十余代、神剣没海、卅廻于茲。事理可然」(『明月記』建保元年4月29日条)と神器の不在に原因を求め、近代においても武士の台頭の原因として後鳥羽天皇が「虚器」を擁していたことに求める意見があった[7]
  3. ^ 通説では、上皇が亀菊の荘園に対する地頭職撤廃を求めたことで決裂したとされているが、河内祥輔のように実朝暗殺を機に宮将軍の安全問題が浮上して、幕府の京都移転など幕府に受け入れがたい要求が出された可能性を指摘する説もある[9]。また、谷昇は実朝が暗殺された日に上皇が敵対者の調伏の修法として行われていた五壇法を行っていたことを指摘し、上皇が幕府自体の転覆や親王将軍による幕府掌握を意図して公暁を唆して実朝暗殺を行わせたとする“上皇黒幕説”を唱えている[10]
  4. ^ 承久の乱は通説では討幕計画とされているが、近年の研究ではあくまでも上皇に反抗的な北条義時を幕府から排除することで公武関係を正常化することが目的であったとして、討幕の意図には否定的な見方もある。承久の乱が討幕計画とみなされた経緯については、長村祥知が詳しく分析している[12]

出典

  1. ^ 丸谷 2013, p. 381.
  2. ^ 丸谷 2013, p. 411.
  3. ^ 今野慶信 著「後鳥羽院の怨霊―利用される怨霊―」、鈴木彰; 樋口州男 編『後鳥羽院のすべて』新人物往来社、2009年、170頁。 
  4. ^ 曽我部愛 著「後宮からみた後鳥羽王家の構造」、野口実 編『承久の乱の構造と展開 転換する朝廷と幕府の権力』 8巻、戎光祥出版〈戎光祥中世史論集〉、2019年3月16日、105-108頁。ISBN 978-4-86-403317-6 
  5. ^ 曽我部愛「鎌倉期王家における皇統の断絶と在俗皇子」(初出:『研究論集 歴史と文化』第3号(2018年)/所収:曽我部『中世王家の政治と構造』(同成社、2021年) ISBN 978-4-88621-879-7)2021年、P.141-142.
  6. ^ 丸谷 1973, p. [要ページ番号]。.
  7. ^ 池田晃淵「承久の乱の起因に就て」『史学雑誌』第7巻第2号、1896年。
  8. ^ 谷 2010a, pp. 76–81.
  9. ^ 河内祥輔『日本中世の朝廷・幕府体制』吉川弘文館、2007年。
  10. ^ 谷 2010b, pp. 155–167.
  11. ^ 小山田義夫「承久の大内裏再建事業について」『流通經濟大學論集』第10巻第4号、1976年。 /所収:小山田義夫『一国平均役と中世社会』岩田書院、2008年。ISBN 978-4-87294-504-1 
  12. ^ 長村祥知「〈承久の乱〉像の変容-『承久記』の変容と討幕像の展開-」『文化史学』68号、2012年。 /所収: 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』吉川弘文館、2015年。ISBN 978-4-64-202928-5 
  13. ^ 山本 2009, pp. 302–305.
  14. ^ 川合康「武家の天皇観」『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房、2004年)
  15. ^ 井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、245, 316-317, 345, 395頁。ISBN 978-4-7517-4430-7 なお、井原は第二次世界大戦前に和田英松が応永31年2月29日条を翻刻した際に後鳥羽院が自ら定めた宋銭禁止令を破って宋銭で賭け事をしていた事実を隠蔽するため意図的に該当記述を削除したことを指摘している。
  16. ^ 遠藤 2008, pp. 286–289, 333–338, 359–360.
  17. ^ 白根 2018, pp. 77–83, 163–167.
  18. ^ 曽我部愛『中世王家の政治と構造』同成社、2021年、200-208, 218-234頁。
  19. ^ 講談社デジタル版「日本人名大辞典+Plus」交野八郎
  20. ^ 講談社デジタル版「日本人名大辞典+Plus」交野八郎
  21. ^ 「古今著聞集」(巻12、偸盗)[1]国史大系第15巻P.436
  22. ^ 山本 2009, pp. 305–307.
  23. ^ 山本 2009, pp. 302–307.
  24. ^ 白根 2018, pp. 77–83, 161–162.
  25. ^ 後鳥羽上皇御火葬塚”. 隠岐郡海士町オフィシャルサイト. 島根県隠岐郡海士町. 2022年7月26日閲覧。
  26. ^ 新撰陵墓志(仮)岡山県、広島県”. geocities. 2019年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月30日閲覧。
  27. ^ 後鳥羽上皇山稜”. 神埼デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」. 神埼市. 2022年7月26日閲覧。
  28. ^ 神埼まちあるき(3) 伝説が息づく鳥羽院”. 神埼デジタルミュージアム「かんざき@NAVI」. 神埼市 (2012年7月31日). 2022年7月26日閲覧。
  29. ^ 後鳥羽天皇宸翰御手印置文”. 文化遺産データベース. 文化遺産オンライン. 2022年7月26日閲覧。
  30. ^ 国宝「後鳥羽天皇筆 御手印置文」を見に行こう!”. 和樂web 日本文化の入り口マガジン (2018年3月15日). 2022年7月26日閲覧。





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