往五天竺国伝とは? わかりやすく解説

慧超

(往五天竺国伝 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/02 03:42 UTC 版)

慧超(えちょう、ヘチョ、혜초704年 - 787年)は新羅からに渡って密教を学び、インドに法を求めて旅し、『往五天竺国伝』を著した高僧である。恵超とも。


  1. ^ a b 吉田豊紹介 / 桑山正進編・『慧超五天竺國傳研究』」『オリエント』第36巻第1号、日本オリエント学会、1993年、 199-200頁、 doi:10.5356/jorient.36.199ISSN 0030-5219NAID 130000841817


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往五天竺国伝

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慧超」の記事における「往五天竺国伝」の解説

五天竺とは中インド北インド南インド東インド西インドインド諸国を指す。玄奘の『大唐西域記』のように後世伝世された書物ではなくフランス東洋学者ポール・ペリオ1908年敦煌莫高窟発見した敦煌文献のひとつである。書物首尾欠けているため、最初は誰の著作か分らなかったが、ペリオ研究により新羅僧・慧超著作判明したペリオ発見する以前は、慧琳の『一切経音義』に収録され音義現存するのみであった漢文それほど達文ではないが、8世紀入ってイスラム勢力中央アジア進出により中国との連絡途絶えていたインド事情記録したものとして歴史的価値がある。特にイスラム軍のインダス川流域シンド地方侵略同時代記録として名高いペリオ始め世界各国東洋学者研究があり、近年では中国張毅の『往五天竺国伝箋釈』(中華書局)が出版されている。日本では桑山正進編纂による『慧超五天竺國傳研究』(京都大学人文科学研究所1992年)が出版されている。

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