式守勘太夫 (5代)とは? わかりやすく解説

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式守勘太夫 (5代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 03:22 UTC 版)

5代 式守 勘太夫
5th Shikimori Kandayū
基礎情報
行司名 式守熊太郎 → 4代式守与之吉 → 5代式守勘太夫
本名 おかもと くまたろう
 岡村 熊太郎
生年月日 (1901-09-27) 1901年9月27日
没年月日 (1984-05-18) 1984年5月18日(82歳没)
出身 日本青森県八戸市
所属部屋 伊勢ノ海部屋鏡山部屋伊勢ヶ濱部屋
データ
現在の階級 引退
最高位 三役格(式守勘太夫)
初土俵 1913年1月
幕内格 1940年5月
三役格 1956年5月
引退 1966年9月
備考

5代式守勘太夫(ごだい しきもりかんだゆう、1901年9月27日 - 1984年5月18日)は大相撲の元三役行司。所属は伊勢ノ海部屋鏡山部屋伊勢ヶ濱部屋

人物

青森県八戸市出身。本名は岡村熊太郎。初め伊勢ノ海部屋に入門するが、のち5代鏡山(元幕下金木山)の養子となる[1]。しかし、鏡山部屋は1944年11月場所限りで伊勢ヶ濱部屋へ吸収合併された。

1913年1月、「式守熊太郎」の名で初土俵1926年1月、4代式守与之吉襲名。1933年1月十両格、1938年1月に5代式守勘太夫を襲名。1940年5月幕内格、1951年5月に年寄・6代鏡山を襲名し二枚鑑札。三役格の定員増加により1956年5月、三役格行司に昇格。1958年に二枚鑑札が廃止されたため、同年5月場所を最後に行司を引退し、年寄専務のまま1966年9月に停年退職した[1]

相撲字に関しては「名人」と称され能筆で、永らく番付の書き手(戦後2人目)[1]を務めた(1952年1月 - 1966年9月、行司引退後も停年まで務めた)[1]読売新聞東京本社発行、隔月刊「大相撲」2010年9月号を最後に休刊)の表紙題字[2]は5代勘太夫の書によるものである(目次欄に「題字・鏡山勘太夫」と記載されている)。

事務能力にも長けていたため、定年退職後も協会嘱託として5年間務めた。1984年5月18日、東京江戸川区南小岩の自宅で心不全のため逝去。享年84。満82歳没[1]。弟子に7代勘太夫7代式守錦之助9代勘太夫がいる。

履歴

その他

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e 私の“奇跡の一枚” 連載29 「品格力量抜群」の番付書者 ベースボールマガジン社 2019-08-20(2020年1月7日閲覧)



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