本膳料理
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本膳料理(ほんぜんりょうり)とは、日本料理のひとつ。
- ^ a b 熊倉(1998)、p.15
- ^ 熊倉(1998)、p.18
- ^ a b c 熊倉(1998)、p.16
- ^ 熊倉(1998)、pp.16 - 17
- ^ a b c d e 熊倉(1998)、p.17
- ^ 熊倉(1998)、pp.17 - 18
- ^ a b 熊倉(1998)、p.20
- ^ 熊倉(2008)、p.11
- ^ 熊倉(1998),p.21、熊倉(2008),p.18
- ^ 熊倉(1998)、pp.23 - 24
- ^ 熊倉(2008)、pp.18 - 21
- ^ 熊倉(1998)、p.25
- ^ 熊倉(2008)、p.70
- ^ 熊倉(2008)、p.72
- ^ 濱田・林(1998)
- ^ a b 熊倉(2008)、p.75
- ^ 熊倉(2008)、p.77
- ^ 櫻井信也『和食と懐石』(淡交社、2017年)
- ^ 大坪藤代・秋山照子「朝鮮通信使饗応食(第2報) 七五三本膳料理と引替」『長崎女子短期大学紀要 14』(1990年)
式三献
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式三献は宴会の三部のうち、はじめの酒礼にあたる。室町時代の記録によれば、室町期の御成は午後2時・3時頃に主君が到着し、当主は門前で主君を迎えた後に邸内へ招き、式三献が行われる公饗の間(くぎょうの間)と呼ばれる部屋へ案内する。公饗の間は書院造の部屋であるが、古い寝殿造の様式を残していたという。式三献は今日の結婚式における三三九度として形を残している。 室町将軍の御成記や武家故実書によれば、式三献は主殿(寝殿)で行われ、その後、会所に移り、ここで改めて初献から三献までの三献が出された後、五の膳もしくは七の膳までが据えられる膳部となり、さらに四献以下の献部となることがわかる。主殿での式三献と会所に席を移しての初献から三献までの三献とは、全く別のものである。式三献では、初献に海月・梅干・打鮑、二献に鯉のうちみ(刺身)、三献にはわたいり(腸煎り~鯉の内臓の味噌煎り煮)が出されることが通例であるが、これらには箸をつけず、実際に食されることはない。式三献は、武家社会において、新たに生み出された儀礼であると考えられる。
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