延久蝦夷合戦
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延久蝦夷合戦(えんきゅうえぞかっせん)は、平安時代、前九年の役(1051年-1062年)と後三年の役(1083年-1087年)の間で陸奥国を主な舞台に起こされた戦役で、延久二年合戦、延久合戦とも言う。
- ^ 清原真衡とする説、清原武貞とする説、清原武則の弟とする説、海道平氏出身で武貞の娘婿とする説などがある
- ^ 入間田宣夫「延久二年北奥合戦と諸郡の建置」『東北アジア研究』第1巻、東北大学東北アジア研究センター、1997年1月、4/21頁、ISSN 1343-9332、2022年5月1日閲覧。
- ^ 「新編弘前市史」編纂委員会編 2003, pp. 176–177.
- ^ 工藤雅樹は下北半島(宇曾利)としている。
- ^ 「朝野群載」延久三年(1071年)五月五日宣旨
- ^ 「御堂摂政別記」応徳三年(1086年)正月二十三日裏文書
- ^ 延久の合戦 平泉への道 - 岩手日報
- ^ 樋口知志『前九年・後三年合戦と兵の時代』(吉川弘文館、2016年)
- 1 延久蝦夷合戦とは
- 2 延久蝦夷合戦の概要
- 3 脚注
固有名詞の分類
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