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広野台

読み方:ヒロノダイ(hironodai)

所在 神奈川県座間市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒252-0012  神奈川県座間市広野台

広野台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 18:47 UTC 版)

日本 > 神奈川県 > 座間市 > 広野台
広野台
町丁
イオンモール座間
北緯35度30分03秒 東経139度25分20秒 / 北緯35.500764度 東経139.422356度 / 35.500764; 139.422356
日本
都道府県  神奈川県
市町村 座間市
人口情報2023年令和5年)8月1日現在[1]
 人口 2,949 人
 世帯数 1,366 世帯
面積[2]
  0.681234218 km²
人口密度 4328.91 人/km²
設置日 1974年昭和49年)11月1日
郵便番号 252-0012[3]
市外局番 046(厚木MA[4]
ナンバープレート 相模
ウィキポータル 日本の町・字
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広野台(ひろのだい)は、神奈川県座間市町名。現行行政地名は広野台一丁目から広野台二丁目。住居表示実施済み区域[5]

地理

座間市の北部に位置し、一丁目北部に1927年(昭和2年)、小田急小田原線が敷設され運行しているが最寄り駅はなく、小田急相模原駅相武台前駅の中間にあり、どちらの駅からも徒歩20分未満。

略史

年表

  • 1927年(昭和2年)4月1日:小田原急行鉄道小田原線開通。
  • 1955年(昭和30年):町営水道給水開始。
  • 1962年(昭和37年):高座郡座間町大字座間元広野5054番地に座間町立座間第三小学校開校。
  • 1964年(昭和39年):高座郡座間町大字座間字元広野5000番地に日産自動車座間工場が一部竣工・稼働開始[6]
  • 1965年(昭和40年):日産自動車座間工場完成。
  • 1965年(昭和40年)5月30日:座間電報電話局管内[7]の電話、全国ダイヤル自動即時化(市外局番0462・市内局番51 例 旧表記・座間xx番→新表記・0462-51-00xx)。
  • 1967年(昭和42年)7月22日:座間町立広野プール開設。
  • 1968年(昭和43年):町内の郵便番号が付与される。(〒228)
  • 1971年(昭和46年)11月1日:市制施行。
  • 1974年(昭和49年)11月1日 - 当該地域の大字小字を統合し広野台1・2丁目を新設[8][9][10]住所の表記は従来からの地番を使用(例・広野台1丁目5○○○番地の1)。
  • 1999年平成11年)9月13日 - 住居表示実施[11][12]。(例・広野台一丁目○番1号)。
  • 2001年(平成13年):電話番号逼迫に伴い市内の市外局番(0462地域)が046へ3桁化。
  • 2010年(平成22年)4月1日:相模原市が政令指定都市移行に伴い郵便番号を変更、相模原市一部地域と上3桁「228」を共用していた座間市内も228-00xxから252-00xxに変更。

この地域は、1960年代まで、相模が丘小松原ひばりが丘東原同様、芝原(しばあら)[13]と言い、座間宿村・座間入谷村の人々の所有地で耕作地であり、狭義には「元広野」と座間宿・座間入谷の本村の人々は呼んでいた[14]。座間宿・座間入谷の本村から、皆一同毎日鍬を担ぎ弁当持参わらじ履きで、府中みち[15]、江戸街道[16]、鶴間街道[17]を歩いて通い、クワ陸稲耕作をした。現・座間市相武台二丁目との境界に目久尻川が流れ谷崖が多く森林であったため、耕作は座間街道沿い段上の、土地が平坦なところで行われた。

1927年(昭和2年)に小田原急行鉄道小田原線が敷設され、字元広野窪北部を電車が走るようになった。

町内を縦貫する座間街道は、農道であったが、太平洋戦争終戦直後GHQにより突貫工事で逐次整備拡張され[18]1947年(昭和22年)に全面開通し幹線道路となった[19][20][21]。当初は「行政道路」が通称であったが日産自動車座間工場ができてからは「座間日産通り」と呼んでいて、知らぬ間に「座間県道」やがて「座間街道」と呼ぶようになった。座間街道は相武台団地入口の信号で行幸道路までで突き当り。その先の村富線は相武台団地竣工時までなかった。この座間街道沿いが宅地化となるのは昭和40年代である。

この広野台地区は座間市内で人が住み着いたのが最も遅かった。1955年(昭和30年)に座間町営水道が完成すると翌1956年(昭和31年)、広野台で最初の住居であるキャンプ座間在勤職員家族専用アパートメント「座間コート」[22][23]が竣工し、キャンプ座間在勤職員家族が入居し始めた。相武台団地入口信号の所には小佐野賢治創業の国際興業が経営する米軍大型バスの洗車場ができ、1960年代後半に入るとボウリングブーム到来とともに、多目的遊技場も兼ねた相武台ボールダイヤモンドレーン(※通称 相武台ボウル)、日産自動車座間工場正門のすぐ隣に座間ボウル、2ヶ所のボウリング場が1970年(昭和45年)に営業開始した[24]。しかし、第一次オイルショック、レジャーの多様化が進み、ボウリングブームは数年で終焉した。相武台ボウルはベトナム戦争終戦とともににその役目を終え、1975年(昭和50年)にスーパー忠実屋〜ディスカウントストア・サンエムとなりその後パチンコ店になり漏電による火災で全焼し、ダイエー相武台店になった。

畑一面と目久尻川流域の谷崖森林だったこの地域も、1962年(昭和37年)座間町立座間第三小学校が開校、1964年(昭和39年)に日産自動車座間工場が一部竣工・稼働を始めると町役場はこの地の各小字を一括りに「元広野」[25]、行政上の扱いは相武台地区とした。同時期に宅地開発が始まり[26]、座間街道沿いの平坦な耕作地であったところは早期に宅地化したが、元広野窪の目久尻川沿いは谷崖森林になっており宅地造成工事は困難を極めるも、1965年(昭和40年)2月には電柱の建柱工事も終わり全域が宅地化。しかし小田急線相武台前駅や小田急相模原駅から遠いこともあり、そのため開発開始から数年間は戸数が微増散見する程度で発展する兆しが全くなかったが[27]1968年(昭和43年)・1969年(昭和44年)に戸数が急増し[28]、新住民達がこの地を、座間街道を境界に隣接する大字相模台に倣い「広野台」と”通称”した[29][30]。1974年(昭和49年)11月1日、各大字小字を統合し、正式に行政上の町名として広野台1・2丁目を新設し、1999年(平成11年)9月13日には住居表示を実施した。

町内を流れる目久尻川の源流は、大字栗原字小池谷の白髪弁財天が通説となっているがそうではなく、行幸道路に面する旧大字座間字上小池と字元広野窪の境、現・広野台一丁目1番にあるロイヤルホスト公道を抜けた相模原市南区相武台丁目相武台団地の一番低い窪地にある遊水地付近が元々の源流である。

相模原市南区相武台三丁目と相武台団地遊水地付近窪地の元源流から、その近くの行幸道路のドコモショップロイヤルホスト周辺、行幸道路を挟んで反対側の住宅地になっている窪地付近はホタルが自生繁殖するほど清水が多量に湧き、美しい湿地であったが、戦時中に臨時東京第三陸軍病院の病院地下から元広野窪の小田急線線路下まで地下下水道として整備され、病院の汚染水を排水する所謂「ドブ川」化されてしまい、元の源流から清水が湧き流れる、ホタルが自生繁殖するほど美しい川の源流は枯れてしまった。現況の目久尻川は公共下水道の整備により汚染水や生活排水を放出しておらず、溜まった雨水を放流している。

世帯数と人口

2023年(令和5年)8月1日現在(座間市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
広野台一丁目 1,366世帯 2,949人
広野台二丁目 0世帯 0人
1,366世帯 2,949人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[31]
2,426
2000年(平成12年)[32]
2,470
2005年(平成17年)[33]
2,844
2010年(平成22年)[34]
3,075
2015年(平成27年)[35]
3,179
2020年(令和2年)[36]
3,037

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[31]
838
2000年(平成12年)[32]
925
2005年(平成17年)[33]
1,087
2010年(平成22年)[34]
1,184
2015年(平成27年)[35]
1,248
2020年(令和2年)[36]
1,254

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2022年12月時点)[37]

丁目 番・番地等 小学校 中学校
広野台一丁目 33番~35番 座間市立相武台東小学校 座間市立座間中学校
1~32番
36~50番
座間市立相模野小学校 座間市立相模中学校
広野台二丁目 全域

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は、以下の通りである[38]

丁目 事業所数 従業員数
広野台一丁目 78事業所 897人
広野台二丁目 220事業所 8,859人
298事業所 9,756人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[39]
142
2021年(令和3年)[38]
298

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[39]
5,823
2021年(令和3年)[38]
9,756

交通

鉄道

一丁目北部に1927年(昭和2年)小田急小田原線が敷設され運行しているが、町内に鉄道駅はない。

乗り合いバス


廃止路線

道路

施設

その他

日本郵便

脚注

  1. ^ a b 町丁字別年齢別人口統計表(令和5年)” (CSV). 座間市 (2023年8月8日). 2023年8月16日閲覧。 “(ファイル元のページ)(CC-BY-4.0)
  2. ^ 『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年8月16日閲覧。(CC-BY-4.0)
  3. ^ a b 広野台の郵便番号”. 日本郵便. 2023年8月9日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
  5. ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
  6. ^ 大字座間入谷飛び地向長窪・東長久保・長久保・長久保中通などの古来の小字が事実上不詳になってしまった。
  7. ^ 座間町(大字相模台の町田電報電話局管内・大字栗原の厚木電報電話局管内を除く)、相模原市新戸全域・磯部・新磯野の大部分※1965年当時
  8. ^ 現一丁目の大字座間元広野の鶴間街道以北・元広野窪全域・大字相武台大字相模台の各一部、現二丁目の大字座間元広野の鶴間街道以南・大字座間入谷向長窪の西半分・東長久保・長久保・長久保中通。
  9. ^ 住居表示は実施せず。
  10. ^ 『座間の地名・付録昭和3年刊行「神奈川県高座郡座間村地番反別入図」の「高座郡座間村全略図」』
  11. ^ 広野台地区(平成11年9月13日施行)”. 座間市. 2023年8月16日閲覧。
  12. ^ 不動産登記法に基づく地番整理(地番の付け直し)は実施せず。
  13. ^ 江戸末期嘉永6年(1853年相模が丘・広野台から小松原ひばりが丘東原にかけて開拓がはじまった。『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』
  14. ^ 『座間むかしむかし第1集・芝原の開墾』
  15. ^ 現・行幸道路
  16. ^ 相武台前駅踏切渡り相模が丘に向かう道。相模野小学校下、元広野と元広野窪の境界道である小池窪の坂を直進し農道(現・座間街道)を渡り、相模が丘中部を縦貫し、上鶴間村下鶴間村の境の道で八王子道(滝山道)を渡り鶴間村町谷原町田市南町田町田街道の町谷原交差点)、小川村を経て、長津田宿江戸三宅坂へ向かう大山街道(矢倉沢往還)に合流。
  17. ^ 相模野小学校下、江戸街道の小池窪から座間街道イオンモールへ向かい、下鶴間宿大山道(矢倉沢往還)と八王子道(滝山道)に合流した。
  18. ^ 『座間むかしむかし第25集・戦前から戦後のまちの様子』
  19. ^ 座間市史 4(近現代資料編 2)3 基地の町の実情 272 昭和二十八年二月 米軍移駐にともなう交通対策につき陳情 501
  20. ^ 『鶴間新町のルーツを探る 座談会・大和市市史編さん事務局』
  21. ^ 小田急小田原線を跨ぐ「相武台跨線橋」は突貫工事で架けられたため、数年間は木製の橋であったが、現在の恒久的な橋が竣工したのは1953年(昭和28年)である。
  22. ^ ダイエー相武台店と道一本挟んだロイヤルホストの間にマンションが建っている所。
  23. ^ 座間市史 4(近現代資料編 2)3 基地の町の実情 284 昭和二十九年十一月 在日米軍に提供する施設及び区域について 527
  24. ^ 1970年1973年には両ボウリング場のイベントに須田開代子中山律子も数回来場している。
  25. ^ 『座間広報』の「各地区ごみ収集日」に、昭和37年12月1日号は相武台地区「第三小学校前」、昭和39年10月1号には同「元広野」と記載されている。
  26. ^ 『座間むかしむかし第25集・戦前から戦後のまちの様子』。宅地造成は角栄建設株式会社が施工した。※田中角栄とは無関係。
  27. ^ 日産が大規模な独身寮・家族用社宅を栗原相武台相模台に建設したため。
  28. ^ 1969年(昭和44年)10月、座間町の人口が5万人を超えた。『座間むかしむかし第3集・巻末 座間市略年表』
  29. ^ 『座間の語り伝え 7 村制編 1 村の起こり』
  30. ^ 『座間の地名』p28
  31. ^ a b 平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
  32. ^ a b 平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
  33. ^ a b 平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
  34. ^ a b 平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
  35. ^ a b 平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
  36. ^ a b 令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
  37. ^ 小・中学校の通学区域” (2022年12月7日). 2023年8月16日閲覧。
  38. ^ a b c 経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
  39. ^ a b 経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
  40. ^ 座間市史 4(近現代資料編 2)3 基地の町の実情 272 昭和二十八年二月 米軍移駐にともなう交通対策につき陳情 501
  41. ^ 小田急小田原線を跨ぐ「相武台跨線橋」は突貫工事で架けられたため、数年間は木製の橋であったが、現在の恒久的な橋が竣工したのは1953年(昭和28年)である。
  42. ^ 郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年7月17日閲覧。


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