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広津素子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 10:57 UTC 版)
| 生年月日 | 1953年5月16日(58歳) |
|---|---|
| 出身地 | |
| 出身校 | 東京大学 |
| 学位・資格 | 公認会計士、税理士 |
| 前職 | 大学院教授 |
| 所属委員会 | 財務金融委員会 農林水産委員会 決算行政監視委員会 |
| 世襲 | 無 |
| 選出選挙区 | 比例九州ブロック(佐賀県第3区) |
| 当選回数 | 1回 |
| 所属党派 | (自由民主党→) みんなの党 |
| ウェブサイト | 前衆議院議員 広津もと子のホームページ |
広津 素子(ひろつ もとこ、1953年5月16日 - )は、日本の政治家、前衆議院議員(通算1期)。公認会計士。戸籍上の氏名は平林 素子(ひらばやし もとこ)。
人物・経歴
佐賀県唐津市出身。唐津市立外町小学校、唐津市立第一中学校、佐賀県立唐津東高等学校、東京大学医学部保健学科を卒業し、1982年から公認会計士・税理士として活動した。
2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では、元自治大臣で旧橋本派(平成研究会)であった保利耕輔のいわゆる刺客として、佐賀3区から立候補した。造反選挙区における刺客候補としては最後の擁立で小選挙区では保利に大敗したが、比例九州ブロックの1位に登録されていたため復活当選した。
衆議院議員在職中は、公認会計士・税理士としての過去の経験を活かし、地域再生、農林漁業の再生、環境、社会保障、国への公会計制度の導入など、さまざまな分野で改革を進めた。[要出典]
2006年、郵政造反組復党問題で、同じ選挙区の保利が自民党に復党した。その後、自民党佐賀県連が次期総選挙において保利の公認を求めることを決めたため、自民党佐賀県第3選挙区支部長であった広津は異議を唱えたが、2009年8月の第45回衆議院議員選挙において、自民党の公認を得られなかったことから、2009年7月31日に、自民党に離党届を提出[1]。先に自民党を離党していた渡辺喜美らが結党したみんなの党に参加し、8月30日の第45回衆議院議員総選挙へ同党公認で佐賀3区から出馬したが、落選した。
その後、新しく小さい党であるみんなの党からは、第45回衆議院議員選挙や第22回参議院議員通常選挙で党公認料や支部交付金などが得られず、政治活動が続けられないという理由で、2010年3月31日限りで同党の佐賀県第3選挙区支部を解散した。一方、自らの政策は自民党内の改革派やみんなの党、民主党の一部に近い事を明らかにしている。また、広津は、衆議院議員在職中より、水産業や環境・生態系保全の視点から、佐賀県内で賛同者の多い諫早湾干拓事業を見直し、農業と水産業の両立を図ろうという方針を進めており、民主党の環境政策を、積極的に評価している。
また、地方分権後の九州の経済を浮揚させるためには、世界の成長センターであり、世界の工場となるアジア大陸に向け、福岡(博多)から佐賀3区最大の都市である唐津市、壱岐、対馬を通って、海底トンネルで対馬海峡を渡り、大韓民国の釜山までを結ぶ高速鉄道と高速道路を建設するのがよいという構想を打ち出している[2]。
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- ^ 自民党:広津素子氏が離党届 無所属で出馬へ 毎日jp 2009年7月31日閲覧
- ^ 西日本新聞2005年9月3日朝刊
- 1 広津素子の概要
- 2 関連項目
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