龍州 (四川省)とは? わかりやすく解説

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龍州 (四川省)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 16:23 UTC 版)

龍州(りゅうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から明代にかけて、現在の四川省綿陽市北部と広元市西部にまたがる地域に設置された。

魏晋南北朝時代

553年廃帝2年)、西魏により龍州が設置された。

隋代

初には、龍州は2郡3県を管轄した。583年開皇3年)、隋が郡制を廃すると、龍州の属郡は廃止された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、龍州は平武郡と改称され、下部に4県を管轄した[1]618年義寧2年)、平武郡は龍門郡と改称された。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

隋代の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
龍州 沙州 平武郡
江油郡 馬盤郡 建陽郡 江油県 平武県
馬盤県 方維県
江油県 平武県 馬盤県 方維県

唐代

618年(武徳元年)、により龍門郡は西龍州と改められた。627年貞観元年)、西龍州は龍州と改称された。742年天宝元年)、龍州は江油郡と改称された。757年至徳2載)、江油郡は応霊郡と改称された。758年乾元元年)、応霊郡は龍州の称にもどされた。龍州は剣南道に属し、江油・清川の2県を管轄した[2]

宋代

1115年政和5年)、北宋により龍州は政州と改称された。1131年紹興元年)、南宋により政州は龍州の称にもどされた。龍州は利州路に属し、江油・清川の2県を管轄した[3]

元代

のとき、龍州は広元路に属した。1285年至元22年)、江油・清川の2県が廃止され、龍州は属県を持たない散州となった[4]。元末には、明玉珍により龍州宣慰司が置かれた。

明代

1373年洪武6年)、により再び龍州が置かれた。1381年(洪武14年)、龍州は松潘等処安撫司と改められた。1387年(洪武20年)、松潘等処安撫司は龍州の称にもどされた。1389年(洪武22年)、龍州は龍州軍民千戸所と改められた。1395年(洪武28年)、龍州軍民千戸所は龍州軍民指揮使司と改められた。後に龍州軍民指揮使司は龍州の称にもどされた。1432年宣徳7年)、龍州は龍州宣撫司と改められた。1566年嘉靖45年)、龍州宣撫司は龍安府と改められた[5]

脚注

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志四および『新唐書』地理志六
  3. ^ 宋史』地理志五
  4. ^ 元史』地理志三
  5. ^ 明史』地理志四



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