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平和民主党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/08 07:03 UTC 版)

平和民主党(へいわみんしゅとう)は、第六共和国時代の大韓民国に存在した保守政党。黨總裁・金大中の出身地である韓国南西部の全羅道(湖南)に強い支持基盤を有していた。略称は平民党(へいみんとう)。金大中政権(1998年~2002年)と盧武鉉政権(2002年~2008年)における与党勢力(新政治国民会議→新千年民主党→大統合民主新党)も一定の範囲内で、平民党の流れを汲んでいる[1]




  1. ^ 木村幹著『韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌』(中公新書)254-255頁、巻末資料「韓国政党変遷図」
  2. ^ 金大中派の別称で、金大中の自宅所在地が麻浦区東橋洞にあることから呼ばれるようになった。なお、東橋洞の韓国語表記と読みは“동교동トンギョドン
  3. ^ 得票率では19.3%と、民主党の24.8%に告ぐ第3党に留まったが、平民党は全羅道における強力な地域感情を背景として効率的に当選者を出したことで、野党第1党に躍り出ることができた。
  4. ^ 在野の立場で民主化運動を担っていた人々が結成した政党。「全国民族民主運動連合」(全民連)からの離脱者で政治勢力化を目指すグループが結成した「民衆の政党建設のための民主連合推進委員会」(民連推)で平民党や民主党との統合を志向する「民主連合派」の一部(金大中批判的支持派)が結成した。あくまで独自の政党作りにこだわる「民衆政党派」は「民衆党」を結成した。
  5. ^ ソウル特別市釜山仁川大田大邱光州の各直轄市(現広域市)の議会と、京畿道忠清北道忠清南道全羅北道全羅南道江原道慶尚北道慶尚南道済州道の各道の議会を構成する議員総勢866人を選出するために行なわれたもので、1961年5・16軍事クーデターで中断されてから30年ぶりに復活した地方自治制度の整備の一環として行なわれた。なお同年3月に区・市・郡の基礎議会選挙が行われたが、政党公薦は禁止されていたため、当選者全員が無所属である。
  6. ^ 新民党は総定数866議席の内、2割弱にあたる165議席を得るに留まった。しかも、全165議席中137議席は湖南(全羅道の別称)での当選者で、湖南政党としての性格がより強まる結果となった(自治体国際化協会編集・発行、クレアレポート第103号『大韓民国の地方選挙』より)
  7. ^ 金容権編著『朝鮮韓国近現代史事典』(日本評論社)553頁「平和民主党 (平民党)」の説明文より


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