平和の鐘 (広島市)
(平和の時計塔 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 09:12 UTC 版)
平和の鐘(へいわのかね、英: Hiroshima Peace Bell)は、広島県広島市にある鐘。
- ^ 響け!平和の鐘実行委員会側は「行方不明」と表記している。
- ^ この年以降は平和公園内で式典を行うようになり、上述のように初代の鐘が盗難に遭ったため。この年はサイレンが代用された。
- ^ 当時戦争の影響で多くの鐘が軍部に供出されているため鐘が無く、初代の鐘は旧海軍払い下げの鐘を所有していた建設業者から借受したものである。
- ^ 厳密には仮設置であり、当時中島公園(のちの平和公園)に鉄筋コンクリート製の鐘楼を建設して中央公園から移設する計画だった。
- ^ 式典は中止にはなったが、平和の鐘のみ鳴らされた。
- ^ 国境のない世界地図には世界平和への祈願が、撞座の原子力のマークには核廃絶への祈願が込められている。また、鏡は人の心を映し出す象徴であると説明されている。
- ^ 大賀ハスは2000年間土の中に埋まっていた種から発芽した経緯があり、生命の復活を象徴する植物とされている。
- ^ a b c “広島の「平和の鐘」2代目の模様 被爆金属のハト後世へ”. 中国新聞 (2009年7月30日). 2013年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “祈り告げる5つの「鐘」 初代は朝鮮戦争時に盗難”. 中国新聞 (1995年12月16日). 2013年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g “平和の鐘、64年ぶり高らかに”. 中国新聞 (2013年7月30日). 2013年9月3日閲覧。
- ^ “広島の平和の鐘”. 環境省. 2013年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e “広島「平和の鐘」物語”. 住吉神社発行月刊すみよし (2012年7月). 2013年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e “平和の鐘”. 広島市平和記念資料館. 2013年9月3日閲覧。
- ^ a b c d e “平和の時計塔”. 広島市平和記念資料館. 2013年9月3日閲覧。
- ^ “ヒロシマの記録1947 11月”. ヒロシマピースメディア. 2014年12月25日閲覧。
- ^ a b “響け!2代目平和の鐘”. 響け!平和の鐘実行委員会. 2021年12月17日閲覧。
- ^ “今年もダウンタウンに平和の鐘が鳴り響きました!”. ハワイ歩き方. 2014年11月11日閲覧。
- ^ a b c “広島市代表団のドイツ・ハノーバー市派遣結果について(帰国報告)” (PDF). 広島市 (2013年5月30日). 2013年9月3日閲覧。
- ^ “広島市の姉妹都市 モントリオール市(カナダ)”. 広島市. 2014年11月11日閲覧。
- 1 平和の鐘 (広島市)とは
- 2 平和の鐘 (広島市)の概要
- 3 中央公園内
- 4 姉妹都市
平和の時計塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 06:24 UTC 版)
「平和の鐘 (広島市)」の記事における「平和の時計塔」の解説
1967年10月28日広島鯉城ライオンズクラブにより建立。設計は大旗正二。平和の鐘の北側、相生橋連絡橋南詰にある。上記の通り、元々初代の平和の鐘はこの付近に吊るされていた。 60度ずつひとひねりされた3本の高さ20mの鉄柱の塔上に、球体の3方向を向いた時計が乗っている。原子爆弾が投下された時刻とされる8時15分に毎朝チャイムを鳴らすことにより、「No more Hiroshimas」をアピールしている。 当初、平和公園の設計者である丹下健三の発言と市の方針により、平和公園内にモニュメント等の新規建立が禁止されていたが、関係者が丹下に会談、趣旨を説明後に建立決定した経緯がある。
※この「平和の時計塔」の解説は、「平和の鐘 (広島市)」の解説の一部です。
「平和の時計塔」を含む「平和の鐘 (広島市)」の記事については、「平和の鐘 (広島市)」の概要を参照ください。
- 平和の時計塔のページへのリンク