市原市立市東第二小学校
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市原市立市東第二小学校(いちはらしりつ しとうだいにしょうがっこう)は、千葉県市原市高倉にかつて存在した公立小学校[1]。通称は二小(にしょう)、市東二小(しとうにしょう)[2]。2017年(平成29年)3月31日をもって閉校した[2]。
注釈
- ^ 通常学級数と特別支援学級数の合計
出典
- ^ a b c d “平成28年度市原市教育要覧”. 市原市. 2023年2月1日閲覧。
- ^ a b c d “ありがとう市東第二小 - シティライフ株式会社|千葉県市原市で情報紙発行・印刷全般・広告・ホームページ制作・名入れカレンダー通販”. シティライフ株式会社 (2017年4月7日). 2023年2月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “市東第二小学校沿革”. 市原市. 2017年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月9日閲覧。
- ^ 市原市立市東第二小学校: “校歌(アーカイブ)”. warp.da.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2023年3月4日閲覧。
- ^ a b “市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
- ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。
- 1 市原市立市東第二小学校とは
- 2 市原市立市東第二小学校の概要
- 3 校則
- 4 施設
- 5 中学校区
市原市立市東第二小学校
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「市原市の小学校一覧」の記事における「市原市立市東第二小学校」の解説
2015年(平成27年)末に閉校しており、2017年度に市原市立市東第一小学校に統合される。2017年時点で創立104年を迎えていた。 閉校式の様子は市内テレビ局の取材を受け放映された。 1912年(大正元年)に弘道尋常小学校と奈良尋常小学校を統合し、大正尋常小学校として独立開校したのが始まりである。 1940年(昭和15年)に三成小学校と合併、市東尋常高等小学校に改称、翌1941年(昭和16年)には市東国民学校となっている。 戦後の1947年(昭和22年)に東村立市東小学校となり、翌々年の1949年(昭和24年)に同校より分離独立、市東第二小学校となる。 1954年(昭和29年)以降は町村合併などで改称が続き、1954年(昭和29年)に市津村立市東第二小学校、1961年(昭和36年)に市津町立市東第二小学校、1936年(昭和38年)に現校名である市原市立市東第二小学校に改称、現在に至る。 1992年(平成4年)には創立80周年を記念し敷地内に記念植樹を行った。 通学区域 閉校のため学区なし、廃校前の2012年3月29日時点では高倉、東国吉、金剛地、奈良、古都辺、山之郷飛地だった。
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